「バブル期は良かった」と思う人も多いでしょうが、「今の方が生活は豊かだ」と久留米大学商学部の塚崎公義教授が説きます。

*****

バブル期は、皆が贅沢をしていたが、今は皆が質素に暮らしている。これが人々の「常識」でしょう。しかし、生活レベルを示す統計を見ると、今の方が生活が豊かなのだ、ということに気づかされます。

実質GDP統計の個人消費は、バブルの最盛期よりも3割近く増えているのです。人口はそれほど変化していませんから、一人当たりの生活水準が物価変動差引後で大幅にアップしている、というのが統計の示すところなのです。にわかには信じがたいかも知れませんが、統計は嘘はつきません。

携帯のない生活をイメージしてみよう

バブル期は、携帯電話はありませんでした。移動電話はありましたが、とても高価で重かったので、一部の新聞記者は重くて大きな電話をリュックサックで「携帯」していたようですが、一般には「自動車電話」と呼ばれていました。「重役の車には自動車電話が付いているので、重役が移動中でも指示の電話が来る」と言って恐れられたものです(笑)。

待ち合わせ場所を間違えると、会えませんでした。「駅の改札の西口と東口で互いにイライラしながら何時間も待っていた」などということも日常茶飯事だったのです。ポケットベルが普及してからは、事態は多少改善しましたが、まだまだ不便な時代でした。

筆者は喫茶店で待ち合わせることにしていました。喫茶店の電話番号を交換しておけば、待ち合わせ場所を勘違いしても気づくことができますし、遅れそうになれば電話で謝ることができますから。

インターネットのない生活をイメージしてみよう

当時はインターネットがありませんでしたから、単語の意味は辞書をひいて調べました。レポートの課題が出ると、図書館へ行って本を調べました。当時は、インターネットを「コピペ」したレポートは存在しなかったのです(笑)。

「銀座で飲み会を開こう」という場合を考えてみましょう。今なら仲間に一斉メール(ライン等を含む)を送り、日程の調整をすれば良いのですが、当時は幹事がメンバー全員に電話をして予定を聞き、全員の予定があう日を見つけて店に電話をして予約をとり、その結果を全員に電話したのです。

では、どうやって店を見つけたか。メンバーの誰かが行ったことのある店でよければ、そのメンバーから電話番号を聞けばよいのですが、そうでなければNTTが配布している「電話帳(今のタウンページ)」で銀座にどんな店があるのかを調べて、電話をしたのです。当然、店の詳しい情報はわかりませんし、店の評判を調べることもできませんでした。

次に、自宅から銀座まで行くのに最短経路はどこか、何分かかるのか、調べるのも困難でした。まあ、どこの家にも時刻表は置いてあって、地下鉄の路線図は簡単に見られましたが(笑)。

時刻表は、バス停や駅で手書きで書き写したものが各自の家にありました。今ならインターネットで調べるのでしょうし、ひと昔前ならバス停で時刻表をデジカメで撮影したのでしょうが、バブル当時は皆がフイルムカメラを使っていたので、写真は高価なものだったのです。

それ以前に、パソコンを持っていた人は極めて少数でした。とても高価だったのです。筆者は調査部で原稿を書くためにワードプロセッサ(ワードだけしかできないパソコンと考えて下さい)を購入しましたが、液晶がとても高価だったので液晶画面が小さくて、とても不自由であったのを覚えています。

当時のテレビゲームといえば、「ファミコン」の「スーパーマリオ・ブラザーズ」ですね。あの画面のカクカクした感じ、昔懐かしい雰囲気ですが・・・。

実質GDPは、こうした生活の質の向上分を金額に換算した統計です。当時存在しなかった物をどう扱うか、といった技術的な話は本稿では触れませんが、スーパーマリオより今のゲームの方が、同じ値段でもはるかに性能が良いので、その分だけ生活の質が向上している、という計算になっているわけです。

今の人の方が幸せとは限らないが

生活水準は今より低かったとしても、当時の人々は、幸せだったかもしれません。インターネットもスマホも、便利さを知ってしまった我々にとっては「なければ生きていけない」ものですが、彼らにとっては「そんな物はないのが当然」だから困ったと思っていなかったのです。

それから、彼らは「未来は今より豊かになる」と信じていました。今は「今後の日本は少子高齢化で貧しくなる」と考えている人が多いでしょう。幸せか否かは主観的なものですから、生活レベルが高ければ幸せだ、ということにはならないのです。

そんなわけですから、筆者は今の若者に向かって「当時の若者より幸せなんだから文句を言うな」などと言うつもりはありません。しかし、客観的な事実として、自分たちは豊かな生活を送れているのだ、ということはしっかり認識しておいてほしいものです。

なお、本稿は厳密性よりも理解しやすさを重視しているため、細部が事実と異なる可能性があります。ご了承ください。

<<筆者のこれまでの記事はこちらから>>

塚崎 公義