25歳の頃、「1人で生きていける」と思っていました。経済的に自立し、精神的にも1人で何でも決める性格。1人での外食や買い物、1人旅にも慣れており、社会人としての振る舞い方もわかってきた頃。自分は一人前の大人で、1人でも生きていけると思っていたのです。ところが30代の半ばも過ぎた今では、人との関わりの大切さを実感しています。

死の場面での実感

1人で生きていくのが難しいと思ったのは、生き死にの場面を経たときです。

まずは「死の場面」について。祖母は肺がんで亡くなりましたが、最後の3カ月間は介護が必要でした。すでに父と祖父は亡くなっているので、祖母と同居しているのは母のみ。当時筆者は実家とは離れた場所で黄昏泣きや夜泣きの激しい4カ月の長男を育てていたため、母1人で介護をしました。

とはいえ、母も仕事をしています。仕事に行っている間に祖母がベッドから落ち、数時間そのまま動けなかったこともありました。病院は定員がいっぱいで、治療をしない期間は入院できません。7年経った今でも、手伝えていれば良かったと時々思い起こします。話し相手になるだけでも違ったのではないかと思うのです。

また、叔父が亡くなる前後には、お見舞金やお葬式への参列についての話し合いがありました。話しながら、一般的な形式だけ分かれば良いわけではなく、それまでの関係性や相手方に気を使わせない配慮の必要性に気付かされました。自分の知識と経験だけでは、家族や親戚付き合い、冠婚葬祭の場には通用しなかったのです。

未知の世界だった子育て

「生の場面」でも、1人では太刀打ちできませんでした。子どもの成長から、看病、子どもの友達付き合い、習い事や教育全般について。保護者としての、先生や他の保護者との付き合い方など。次々と悩みが出ては、ネットや本を読んでも自分なりの答えが見つからず、親やママ友などに相談することの繰り返しです。

物理的にも、1人でこなすのは無理でした。子どもや自分が病気のとき、また兄弟が増えると誰かに頼る必要が出てきます。子どもにとっても、私1人では不十分なよう。信頼できる大人たちの中で、子どもたちはそれぞれ自分に合う人・甘えられる人・遊んでくれる人を見つけています。

義実家や親戚付き合い、地域の方との付き合い方も、日常的なやりとりからお礼、冠婚葬祭の場まで、分からないことだらけ。生の場面を経て、1人の無力さと様々な意見を聞く良さにも気付き、何かあれば相談したり人に助けてもらうようになりました。

1人でも生きられるが、人と関わらないと生きられない

家族がいれば安心というわけでなく、人間はいつ1人になるかわかりません。筆者の父も40代に10万人に1人のガンで、病気が判明してから1カ月で他界しました。今は離婚も多いですし、子どもがいても海外に住んでいるなど、家族の数だけ形があるでしょう。

また、これからはシニア向けマンションやケア付き高齢者住宅といったものも増えていくでしょう。いつでも1人になる可能性はありますし、1人でも生きていくこともできます。

ただ忘れてはならないのは、人と関わらなければ生きていけないということでしょう。普段の友人関係や余暇の時間もそうですし、将来病院に通ったり、シニア向けマンションに入る場合でも、人との関わりは必要になってきます。

思えば「1人でも生きていける」と思っていた頃は、人間関係の大切さを分かっていませんでした。元々人見知りするし、「会社だけの付き合いだから」と一線を引いて付き合ったり、本音を話すのを諦めたり。親に連絡するのも月1回あるかないかで、滅多に人に頼ることもありませんでした。「恥ずかしい」「迷惑かけてはいけない」という思いもあったでしょう。

1人では無力と気付いてからは、人と会話する量も増え、内容も深まりました。本音を話したり、自分の失敗談を話したり、家庭の事情を話したり。些細なことでも人の意見を聞くようになり、人生で今が一番親にも相談しています。生きていれば迷惑をかけることも、かけられることもあるということに気付きました。

心地よく1人で生きていくために

人は人と会話をしないと、心が落ち込むものです。1人で生きていくためにお金や住居が必要とはよく言われますが、「心地よく」1人で生きていくために、周囲の人と良好な関係を築いていくことも大切でしょう。

医師や銀行員など、友人ではないけれど何度も会う人とも良好な関係を築くこと。友人関係では、上辺だけの関係でなく、家族のように気兼ねなく何でもない話を話したり、時にはケンカしてでも自分の気持ちを話して仲直りできる相手を見つけられれば嬉しいですよね。今からそういった練習を普段から心がけることが、1人で生きていく心地よさに必要だと感じています。

宮野 茉莉子