今回は、農産物輸入自由化が難しい理由について、久留米大学の塚崎教授が解説します。
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前回の『経済学者は、農産物の輸入自由化がお好き』では、主流派経済学者の視点から、国際分業は両国にメリットがある、と記しました。それなのになぜ、自由貿易協定の締結が難しいのでしょうか。今回は、政治家の視点から考えてみましょう。
農産物の輸入自由化には農家が全力で反対する
農産物の輸入を自由化すると、農家が困ります。そこで、彼等は全力で反対します。農家の数は少ないのですが、少ない農家に集中的に被害が及ぶので、必死なのです。
主流派経済学者は、「農家は失業したら、翌日から製造業で働くか、米国で農業を営むか、色々できるでしょう」といった感じで失業問題を気にしないわけですが、それは現実的ではなく、政治家にとっては失業の問題は極めて重要な話なのです。
余談ですが、経済学は単純化の仮定を置いて理論を構築しています。「農業も製造業も、仕事には違いないのだから、農家が失業したら製造業で働くはずだ」といったことを考えるわけです。実際には生まれ育った土地を離れたくない、とか製造業で急に働けと言われても無理だとか、様々な問題があるわけですが、そうしたことがないと仮定して話を進めるわけです。
そうした事情まで考えると話が複雑になりすぎるから、ということなのですが、政治家から見ると非現実的で使えない学問に見えてしまうのも、仕方ないですね。100年も経てば経済学が進歩して、政治家にも信頼してもらえるようになるのでしょうが・・・。
非農家は、必死で自由化推進運動をするわけではない
一方、大多数の非農家にとっては、農産物が安く買えるメリットが期待されますが、人数が多いゆえに、大勢が少しずつのメリットを受けるだけで、誰も必死で自由化推進運動を展開したりしないのです。
「自由化推進運動までは行なわなくても、選挙では自由化推進議員に投票するだろう」という考え方もありますが、選挙では数多くの争点があるので、候補者が農産物輸入自由化に賛成しているか否かを重視して投票する非農家は、多くないかも知れませんね。
また、「弱者保護」という旗印を掲げる政策は、非農家にも同情されやすいので、輸入自由化に反対する非農家も多いかも知れませんね。
自由貿易協定の交渉は、「日本は農産物の関税を下げるから、貴国は工業製品の関税を下げてほしい」という交渉になるので、日本の製造業者にとってはメリットの見込める話なのですが、これも必死で推進運動をするほどではないでしょう。農家の被る損失が予測可能な一方で、製造業者の受けるメリットは予測が難しいからです。
人間は、儲かった嬉しさより損した悲しさを大きく感じる動物
行動経済学という分野があります。経済学と心理学のコラボレーションといった領域なのですが、それによると、人間は100円儲かった嬉しさより100円損した悔しさの方を大きく感じるのだそうです。
したがって、非農家が輸入農産物を安く買えるメリットが大きくても、それほど嬉しいとは感じない一方で、農家は被った打撃がそれほど大きくなくても、大いに悲しく、不満に感じる、ということが起きかねないわけです。そうなると、農産物自由化が主流派経済学的には日本経済にプラスになったとしても、心理学を考慮すると国民の幸せにつながらない、ということかも知れませんね。
これは、農産物自由化にとどまらず、一般に政府が何かを改革しようとすることの難しさを示唆していますね。改革によってメリットを受ける人の嬉しさは小さく、デメリットを受ける人の不満が大きいとすれば、日本経済にとってプラスの改革であっても国民の反対が強くてなかなか実行に移せない、ということがしばしば起きているかもしれないわけです。
日本の農業には「1票の格差」という特殊事情も
戦後、日本国民の多くは農業地域に住んでいました。その時に、選挙が行なわれ、農業地域から多数の国会議員が選出されました。それは、当時としては当然のことだったわけです。したがって、当時、国会で農産物の輸入自由化が通りにくかったのは当然ですね。
その後、高度成長期に農村から都市への「金の卵」たちの大移動が起こり、その後も大都市への人口移動が折にふれて生じました。本来であれば、それに従って国会議員の選出人数も都市部選出議員の比率を高めて行く必要があったのですが、農業地域から選出されている国会議員にとっては死活問題ですから、必死に反対し続けているわけです。
そこで生じているのが「1票の格差」問題です。都市部の有権者が大勢で1人の議員を選ぶのに対し、農業地域の有権者は少人数で1人の議員を選ぶことになり、不平等なのです。
そこで、国会議員の選挙区の区割りが少しずつ変更されて来たわけですが、それでも完全に公平になったわけではなく、いまだに農村地域の有権者の声の方が国政に反映されやすくなっています。それで、政治家は、農家が必死で反対する政策には躊躇してしまうわけです。
なお、本稿は、拙著『経済暴論』の内容の一部をご紹介したものです。厳密性よりも理解しやすさを重視しているため、細部が事実と異なる可能性があります。ご了承ください。
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塚崎 公義