9月10日は「牛タンの日」
一昨日の9月10日は「牛タンの日」でした。これは、仙台牛たん振興会が2006年に制定したもので、「「牛(9)タン(ten=10)」の語呂合せからこの日になりました。
やや無理矢理にこじつけた気がしないわけではありませんが、現在では仙台市内を中心に各種イベントも行われているようです。しかし、この「牛タンの日」は単なる商業目的の記念日とは異なり、非常に重要な意味を持った日なのです。
日本は世界一の牛タン消費国という報告も
牛タンとは、その名の通り、食用の牛の舌部を指します。牛タンは、日本以外でもメキシコ、欧州、東南アジアなどで食材とされているようです。しかし、メキシコやフランスなど一部の国を除くと、人気料理というほどではないのが実情のようです。
牛タンが人気メニューになっている日本は、世界的に見ても珍しいと言えるかもしれません。一部の調査によれば、世界の牛タン市場の約半分が日本という話もあります。いずれにせよ、日本は、牛タンが人気食材である国の1つであることは確かなようです。
牛タンの正確なデータが不足している最大の要因は、牛タンが畜産副産物のためです。畜産副産物とは、牛の解体時に生じる正肉以外の部分を指します。牛タン以外では、モツ(内臓)などが該当します。
等級の低い牛の場合は特に、こうした畜産副産物は食用に流通することなく、2次利用されたり廃棄されたりしているのが現状と見ていいでしょう。特に海外ではこの傾向が強いようです。何だかもったいない気もします。
仙台市内は至る所に牛タン料理店が見られる
さて、「牛タン」と聞いて、すぐに宮城県仙台市を思い浮かべる人も多いでしょう。牛タンの日が前掲した仙台牛たん振興会によって制定されたことからも、仙台市が牛タン料理の盛んな街であることは間違いありません。
実際、仙台市内を歩くと、街の至る所に牛タン料理店(注:そのほどんどが牛タン焼き店です)を目にすることができます。例えるならば、高松市内の讃岐うどん店、広島市内のお好み焼き店、札幌市内のスープカレー店といったところでしょうか。
仙台は牛タン料理(牛タン焼き)発祥の地
仙台市に牛タン店が多いのは、牛タン料理の発祥の地だからです。終戦後間もない1948年(昭和23年)、仙台市内で焼き鳥を中心とした飲食店を営んでいた店主が牛タン焼きの専門店を開業したことが始まりとされ、それ以降「仙台牛タン」が定着して今日に至っています。
それ以前にも細々と食されていた形跡はありますが、現在の牛タン焼き、テールスープ、麦飯、漬物(青唐辛子の味噌漬け等)がセットになった“牛タン焼き定食”がこの頃から確立されたようです。
仙台牛タンはほぼ全量が米国産牛を使用
ここで、重要な点に触れなければなりません。仙台市は牛タン料理の発祥の地でありますが、仙台市や周辺の食材を使用しているわけではないのです。実は、既に多くの方がご存じかと思われますが、「仙台牛タン」で使われている牛タンはほぼ全量が米国産牛です。
和牛の牛タンは高価なため、高級料亭やフランス料理店に回されます。また、豪州産牛は食感や味が微妙に異なるため、ほとんど使用されていません。これは、吉野家の牛丼が全て米国産牛を使用しているのと同じと理解していいでしょう。
仙台牛タンも深刻な影響を受けたBSE問題
すると、“ほぼ全ての仙台牛タンが米国産牛ならば、BSE問題の時はどうだったのだろうか?”と思った方も少なくないかもしれません。
BSE問題とは、米国産牛にBSE(牛海綿状脳症、家畜伝染病の一種)が相次いで見つかったため、2003年末~2006年7月(正式な輸入再開は7月27日)にかけて一切の米国産牛の輸入が禁止された問題です。
当時、米国産牛にこだわった吉野家は、牛丼の販売ができずに業績不振に陥りました。結論から言うと、仙台市内の牛タン店も深刻な影響を受け、中には閉店や廃業に踏み切る関係業者もあったようです。
豚タンでの代用も起きた
筆者もこの時のことをよく覚えています。当時、仙台牛タン焼店の分店が日本橋(東京都中央区)にあり、筆者もよく利用していました。
ところが、米国産牛の輸入禁止が長期化し始めた2005年頃から、牛タン焼き定食の牛タンの量が減りました(値段は同じです)。具体的には、8切が6切になったと記憶しています。恥ずかしながら、筆者はこの時初めて米国産牛を使っていたことを知りました。
減量したのは、おそらく在庫が底をつき始めたのでしょう。ちょうど、吉野家も牛丼の特盛を休止にした頃でした。そして、年が明けて2006年になると、牛タン焼き3切と豚タン焼き3切に変わりました。豚タンの何とも言えない平凡な味は今でも覚えています。
「牛タンの日」が2006年に制定された意味
結局、2006年7月から輸入が再開されたため、仙台牛タンは危機を脱して復活しました。冒頭で「牛タンの日」が制定されたのが2006年からと記しましたが、危機を脱した年に制定されたことになります。
「牛タンの日」は、牛タンを広く認識してもらうことよりも、あの当時の危機を忘れないようにする戒めが大きな目的なのかもしれません。
LIMO編集部