【どうする家康】家康の想いが伝わる神廟
さらに本殿の後方にある廟門から、約40段の石段を登った先にある「神廟(しんびょう)」へ。
こちらには家康の亡骸が埋葬されていると伝えられており、江戸時代にはごく一部の人しか立ち入りを許されませんでした。先程ご紹介した4月17日の御例祭には、徳川宗家の当主が社殿での祭礼の後、神廟に拝礼します。
神廟は家康の遺志により西向きに建てられています。西の方角には、家康の両親が子授け祈願をしたという鳳来寺、さらにその西には岡崎の松平家の菩提寺・大樹寺があることから、家康の想いが伝わってきます。
ちなみに神廟に行く際は御本殿の横を通ります。屋根板を支えるため、棟から軒に渡した垂木(たるき)には葵の紋が施されているのですが、よく見るとこの中にひとつだけ「逆さ葵」が隠れています。
こちらは「完成した時から崩壊が始まる」という考えのもと、家康をまつる神社として末永く残っていくことを願い、敢えて未完成のままにしたのではないかと言われています。
久能山東照宮には博物館も併設されており、久能山東照宮に奉納された伝世の宝物をはじめ、徳川家康の日常品(手沢品)、徳川歴代将軍の武器・武具などを見ることができます。
先日こちらでは、家康が関ケ原の戦いで乗った可能性がある「竹かご」が戦後初めて公開されたことでも話題となりました。家康が乗っていたサイズ感と戦場の様子が伝わるもので、今年の夏頃まで展示されているそうです。
参考資料
成瀬 亜希子