アジアでもインターネット、ビッグデータに続き、人工知能の波が来ています。そして、「それを扱えないと君の将来は暗いよ」といった風潮をヒシヒシと感じます。しかし、こうしたテクノロジーは活用する人間がしっかりしないと弊害があるとも感じています。どうも最近のアジアの若者たちを見ていると、その将来が若干心配になるからです。

スマホ中毒による”脊髄反射”

アジアの20代の若者は初任給でまずスマホを買います。スマホがインターネット生活の基本になっていて、スマホがないと意気消沈する若者も多いようです。結果、自分の頭で考えることが減っているように感じます。

というのは、20年以上アジアビジネスに関わってきて、特に最近、“脊髄反射的“に返答するような態度が増えたような気がするからです。つまり、スマホでツイッターに書くような、刺激に対する感情的な反応です。

フェースブックやワッツアップ(WhatsApp:LINEのようなメッセンジャーアプリ)などでもそうですが、”脊髄反射的”反応は、より刺激的な情報に対してより強く反応するものです。そうなると、しっかり自分の頭で考えた意見ではなく、一種、動物的な反応に終始することになってしまいます。

日頃、ビジネスではEメールのやり取りが中心ですが、ツイッターの癖で単語の羅列になっているケースも目につきます。アジアの若者は、時折、スマホとインターネットを断食してぼんやり思索し、情報過多社会に対して密かに抵抗してみたらどうかと思うこともしばしばです。

ビッグデータ依存症

ビッグデータには、分析する側が分析される側をコントロールしようというような感覚があります。私自身もそうですが、何でも数量化・統計化してみたいという欲求が出てくるのです。

ところが、世の中の現象はそう簡単には数量化できません。私たちの未来には、危険(リスク)と危機(クライシス)があり、危険はある程度予測できますが、危機は予測できないものです。予測できる危険に対してはITが使えますが、危機に対しては使えないのです。危機に対しては人間力で対処するしかありません。

ところが、アジアの若者は、そんな基本的なことも意識から欠落してデータ至上主義になっているかのようです。

私自身はアジアで金融関係の仕事が多いのですが、たとえば、アジアの銀行でもITと大量のデータを活用して審査・スコアリングを行い、信用リスクを数値化してリスク管理しています。たとえばミャンマーのような後発国でも、そうしたIT化が始まりつつあります。

IT化が進むと、必ずと言ってよいほど若手行員がITシステムに過度に依存する傾向が出てきます。すべてを数値化できるわけではないのに、あたかもすべてを数値化できるかのような錯覚に陥るのです。そして、システムが与えてくれた結論を鵜呑みにします。

しかし、ITシステムは企業のうわべだけを見て人間(経営者)を見ているわけではないので、IT計算だけでは本来の審査は不十分なのです。

ミャンマー国営企業の1つ。その歴史ある建物とパソコン研修室

人工知能はアジアの若者を不安にする

2014年、英オックスフォード大学で人工知能(AI)などの研究を行うマイケル・A・オズボーン准教授が、同大学のカール・ベネディクト・フライ研究員とともに著した『雇用の未来―コンピュータ化によって仕事は失われるのか』という論文が、世界中で話題となりました。

米国労働省のデータに基づき702の職種が今後どれだけコンピュータ技術によって自動化されるかを分析した結果、今後10〜20年で、米国の総雇用者の約47%の仕事が自動化されるリスクが高いという結論に至ったそうです。そう言われても、まだ半信半疑ではありますが、アジアでも人工知能が確実に浸透しつつあるようです。

そんな世界で人間は何をすれば良いのでしょう。どんな仕事が残るのでしょう。

人間にしかできない仕事が生まれてくるから心配ないと言う方もいらっしゃいますが、アジアには多くの若者がいます。当然、若者は職を求めますが、すでにスマホやビッグデータで思考力が劣化している若者たちにとっては、新たなAI時代はかなり不安なものになりそうです。

それでも「デジタライゼーション」の波に立ち向かう

昨年、ボストン大学准教授で『MITスローン・マネジメント・レビュー』客員エディターのジェラルド C. ケイン博士の講義を受けました。

そこで学んだことは、否応なく飲み込まれる「デジタライゼーション(Degitalization)」の波に立ち向かい、そこから最大限の便益を引出し、弊害を最小化すべきということです。

ケイン博士の言葉で特に印象に残ったのは、これからのビジネスは“doing digital”から“being digital”へというものでした。21世紀を生きるアジアの若者達は「デジタライゼーション」の波に飲み込まれないよう、人間として逞しく生きていくほかないのでしょう。

大場 由幸