この記事の読みどころ
米国の政治情勢が懸念されます。特に、コミー米連邦捜査局(FBI)長官が突然解任されたことを受け、ウォーターゲート事件との共通性から、今回の事件をロシアゲート事件などと表現している報道なども散見されます。
ややこじつけのようにも思われますが、もっともウォーターゲート事件といわれても古い事件で、名前は聞いたことはあるけど内容は良く知らない場合もあるかもしれません。確認の意味で事件を簡単に振り返ります。
FBI長官突然の解任:トランプ大統領、コミー氏を突然解任、理由は二転三転
まず、足元で起きているFBI長官解任事件は次の通りです。
トランプ米大統領は2017年5月9日、コミー米連邦捜査局(FBI)長官(当時)の突然の解任を決定しました。解任の理由についてスパイサー報道官らは当初、司法長官らが、コミー氏は2016年の大統領選で民主党候補ヒラリー・クリントン氏の私用メール問題への対応を誤ったため辞任を進言したと説明していました。
しかし、その後別の理由が述べられるなど、真偽は不透明です。民主党は、解任は大統領選挙へのロシアの関与をめぐる調査を妨害する動きと批判しています。
どこに注目すべきか:ウォーターゲート事件、土曜日の夜の虐殺
コミー氏の突然の解任を受け、1974年にニクソン大統領(当時)が辞任に追い込まれたウォーターゲート事件との共通性が注目される理由は、ウォーターゲート事件捜査の鍵となる人物が突然解任されたことや、政権とFBIの対立などに類似性が見られるという点と思われます。以下、ウォーターゲート事件の概要を振り返ります。
①事件の発端はアメリカのウォーターゲート・ビルにある民主党全国委員会本部に盗聴装置を仕掛けようとした退役軍人、元CIA工作員など犯人5人が逮捕されたことです(図表1参照)。犯人が残したメモなどの内容からホワイトハウスとの関係が疑われはしましたが、背後関係は当初不明でした。
②1969年に第37代米大統領に就任したニクソン氏は再選をかけた1972年の選挙戦を優位に進めており、民主党に盗聴装置を設置する理由もないとの受け止め方が一般的で、11月には再選を果たしています。
③ニクソン大統領の業績としてはこのころがピークと見られます。たとえば、ベトナム戦争の終結は最終的には1975年のサイゴン陥落を待たねばなりませんが、1969年にベトナム戦争の縮小と終結方針であるニクソン・ドクトリンを公表して4年も経過してしまったとはいえ、1973年1月に和平協定案に仮調印、3月にベトナムからの米軍撤退を完了させています。また、1972年にはソビエト訪問、初の中国訪問など米国外交史に残る業績を上げています。
④この間、ウォーターゲート事件の捜査は進み、先の5人に加えニクソン氏再選の関係者(再選委員会)2人の関与が判明しました。上院議会にはウォーターゲート特別調査委員会が設置されました。ホワイトハウスは盗聴への関与を否定し続けましたが、大統領執務室内の録音テープの存在が明らかとなりました。ウォーターゲート特別調査委員会のコックス委員長は関与の証拠として提出を求めました。しかし、1973年10月の土曜日にニクソン氏の画策でコックス委員長は解任されました。
⑤テープの提出を巡り、「土曜日の夜の虐殺」の前から身内の共和党からもニクソン氏を見放す動きが強まりました。ニクソン氏は一部修正したテープを提出するなど抵抗(?)を続けましたが、74年夏にすべて提出、ニクソン氏の虚偽が判明しました。
このような中、下院でニクソン氏に対する大統領の弾劾プロセスが開始され、下院司法委員会の弾劾勧告が可決されました。上院での弾劾裁判を前に、観念したニクソン氏は大統領を「辞任」しており、弾劾、罷免の流れは回避しています。
以上がウォーターゲート事件の主な流れです。付け加えるとすれば、当初5人が捕まったときは「3流のコソ泥の事件」と受け止められていましたが、メディアの地道な報道で事件への関心が高まったことです。相当後になって分かったことですが、メディアに情報をリークしていたのはFBI関係者でした。
なお、ニクソン大統領辞任後、株価が急落しています。確かにマイナス材料ですが、当時は第4次中東戦争、オイルショックなどが起きるなど時代背景が異なるため、参照するにしても冷静な分析が必要です。
そもそも、足元のトランプ政権によるFBI長官の解任が今後どのように展開するのか全く予測できず、過去の例を単純に現在の展開にあてはめるのは控えるべきと考えています。それでも、足元では米国景気は順調に回復しているにもかかわらず、米国の政治リスクが市場の懸念要因となっている面は見られます。早期のリスク解消に期待したいところです。