前半で説明したデータ駆動型社会も、このソサエティ5.0の一環としてとらえることが可能です。平井大臣の構想は、現在のデジタル世界の流れから言っても、きわめて正しいと思います。では、なぜそのような日本が“デジタル敗戦"してしまったのか。特別定額給付金ひとつとっても、迅速に給付できない“普通ではない国"から、果たして脱却できるのでしょうか。

最大の懸念はなにか。民間部門でDX推進がきわめて苦戦中であることも視野に入れて考えてみます。

デジタル庁への期待と不安

平井大臣は別のインタビューで興味深いことを語っています。「ソサエティ5.0は、一般の人たちにとって、身の回りがどう変わるのかというイメージがほとんどない」。実はこれがポイントのような気がします。

なぜ、イメージできないのか。大胆に想像するならば、それは日本の社会構造が「ソサエティ3.0(工業社会)」のままだからです。たとえば労働市場は一括新卒採用から始まり年功序列と終身雇用。産業構造も上流から下流のプロセスを一社で統合する垂直統合型。もちろん企業個別の変革はありますが、社会全体としては混迷しています。

これらの構造は、“モノづくり"に最適化した過去の栄光モデルです。そのなかで「経験、勘、度胸」でやってきたのが日本の姿です。社会の構造が更新されないと価値観も更新されません。たとえば「多様性(ダイバーシティ)」は脱工業社会では、企業や国の競争力の源泉ですが、日本では“マイノリティ保護"のニュアンスが強いのではないでしょうか。

現在は「デジタル=便利なツール」という時代ではありません。いかにデジタルを社会の中枢に実装するかのフェーズになっています。デジタル庁を本気で推進していけば現在の日本の社会構造や、その価値観と必ず衝突することになります。その壁を果たして乗り越えていけるのか。デジタル庁の本格始動に注目したいと思います。

榎本 洋