政府は年末年始の期間、Go To キャンペーンを全面的に停止する方針のようですが、Go To トラベルは経済への貢献が大なので、制限するとしても、たとえば流行地発だけを抑制すべきだ、と筆者(塚崎公義)は考えています。
Go To キャンペーンは経済に多大な貢献
Go To キャンペーンは、落ち込んでいた経済にとって極めて大きな貢献をしました。何と言っても一番困っている人々(旅館や飲食店等々)のところに金が回るようになったのですから。
政府が支払った補助金自体が需要を喚起したという面もありますが、筆者が重視するのは旅行や飲食に政府の「お墨付き」が出た、ということです。
リーマン・ショックと異なり、多くの消費者は「金がないから消費しない」のではなく「金があっても消費しない」という状況です。それは、新型コロナへの感染が怖いということと、「自粛警察」が怖い、ということの両方によるものです。
そうした状況下で、政府が「補助金まで出して旅行や飲食を推奨している」ということは、消費者の財布の紐を大きく開かせる要因となったことでしょう。
筆者は「新型コロナによる死者と、自粛に起因する経済悪化等々による死者の合計を最小化すべき」だと考えており、当初の政策は感染防止に偏り過ぎていたと考えているので、Go To キャンペーンを大いに歓迎するものです。
もっとも、第三次の感染拡大が冬場にかけて勢いを増してしまうリスクも考えると、経済のアクセルだけでなくブレーキも必要であることは認めざるを得ません。
どこまで抑制するかの判断は難しい
筆者としては上記のように死者数の最小化が日本にとって最適だと考えていますが、実際には難しい判断でしょう。
自粛しなければ感染がどれだけ拡大し、どれだけ自粛すれば感染がどこまで抑えられるのか、予測は難しいでしょうし、どこまで自粛するとどれだけ「経済要因等による死亡」が増えるのかも、予測は難しいでしょう。
しかも、医療関係者は経済がわからず、経済関係者は医療がわからないとすれば、政治家に判断してもらうしかありません。彼らも苦しい判断を迫られるのでしょうが、ぜひとも最善の努力をしていただきたいものです。
その際に筆者が気にしているのは、有権者の多数決をとると過剰な自粛が行われかねない、ということです。一つには未知の病は怖いので、どうしても病を抑え込む方に一般人の注意が向きやすいということが言えますが、今ひとつは民主主義の根本にかかわるものです。
観光業や飲食業に従事している少数の国民と、それ以外の大多数の国民の利害が異なっていると、「少数者に犠牲を強いる」選択が行われかねないのです。大多数の国民は「Go To キャンペーンによって自分が感染するリスクを避けたい。観光業や飲食業が困っても、それは仕方のないことだ」と考えかねません。
そうなると、「掃除当番を決まった人間に毎日割り当てる」といった状況にもなりかねないわけです。日本の民主主義はもっと成熟していると信じたいですが・・・。
各自の判断が尊重できることも重要
以下では、Go To トラベルを全部ではなく、ある程度制限するという前提で論じましょう。その場合には、非流行地から非流行地への旅行については、Go To トラベルを制限する理由は乏しいでしょう。
問題は、流行地域発の旅行と流行地域行きの旅行のどちらを先に対象外とするのか、という点です。結論としては、流行地発を先に制限すべきだと筆者は考えています。
流行地へ行く人は、流行地とされる自治体の中でも安全そうな場所を選んで行くでしょうし、行動も慎重になるでしょうから、感染するリスクはそれほど高くないでしょう。したがって、流行地からウイルスを持ち帰って非流行地に感染を広げるという懸念はそれほど大きくないと思われます。
基礎疾患のある高齢者は流行地には行かないでしょうし、行く人はメリットとリスクをしっかり比較して、メリットが上回ると判断した場合にのみ行くことになるでしょう。
一方で、流行地の人が非流行地へ旅行する場合には、自由に活動することになるでしょうから、悪くすると感染を広めてしまうかもしれません。非流行地の人は、それに対しての自衛手段が極めて限られることになります。
非流行地に住む人々は、すれ違う人が流行地からの旅行者であるかもしれないという恐怖を感じることになりますし、基礎疾患のある高齢者は「流行地からの旅行者に遭わないように、家に閉じこもっている」といったことにもなりかねません。
「流行地からの旅行者は、その旨をゼッケンに大書きせよ」ということならば、非流行地の人々は安心でしょうが、そんなことができるはずがありませんから。
当然ですが、筆者は流行地の住人を差別するつもりは毛頭ありません。単に非流行地の人々、特に基礎疾患のある高齢者には自分の身を守る権利がある、ということを述べているだけですので、あしからず。
本稿は、以上です。なお、本稿は筆者の個人的な見解であり、筆者の属する組織その他の見解ではありません。ご了承ください。
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塚崎 公義