オスマン帝国の国旗デザインを受け継いだ
記事のトップ画像の旗は、かつてイスラムの超大国だったオスマン帝国の最後の国旗です。現在のトルコ共和国の国旗は、三日月と星を少しほっそりさせただけで、基本的には「赤地に白い三日月と五角星」というオスマン帝国の国旗のデザインをそのまま受け継いでいます(正解画像参照)。
トルコはアジア(アナトリア半島全域)とヨーロッパ(バルカン半島南東部)にまたがる国です。シリア、イラク、ギリシャ、ブルガリアなどと国境を接し、古くから「東西文明の十字路」として栄えてきました。
現在のトルコのもとになったオスマン帝国は、13世紀の末にトルコ系の民族が西アジアのアナトリア半島につくった国です。
14世紀の中ごろには、オスマン帝国はバルカン半島に進出し、1453年には東ローマ帝国(ビザンツ帝国)の首都コンスタンティノープルを攻め落として東ローマ帝国を滅ぼします。これによって、コンスタンティノープルはオスマン帝国の首都イスタンブールとなりました。
コンスタンティノープルの「三日月と星」のモチーフ
コンスタンティノープルでは古くから、「三日月と星」のモチーフが、ローマ神話の月の女神ディアナと聖母マリアを表す明けの明星(金星)の象徴として使われていました。
このモチーフはオスマン帝国の国旗にも受け継がれ、領土の拡大とともに少しずつ形を変えながら、1793年には現国旗とよく似た白い三日月と八角星を配した赤旗が国旗となります。
16世紀の全盛期には、オスマン帝国の勢力は西アジアから北アフリカ、東ヨーロッパにまで及びました。かつてオスマン帝国の支配を受けた北アフリカのチュニジア(別画像参照)、アルジェリア、リビア、そして西アジアのアゼルバイジャンなどの国旗には、イスラム教の象徴として、いまでも「三日月と星」のモチーフが描かれています。
また、旧オスマン帝国領以外でも、イスラム教徒の多いパキスタンやマレーシア、モーリタニアの国旗に「三日月と星」のモチーフが取り入れられています。
イスラムの超大国から近代国家へ
19世紀ごろになると、オスマン帝国は、支配下のバルカン諸国における独立運動や、南下するロシアなどヨーロッパ諸国の台頭によって次第に力が弱まっていきます。
ドイツとともに参戦した第1次世界大戦では、オスマン帝国はイギリス・フランスなどの連合国に敗れて領土を失います。そして1922年には、のちのトルコ共和国初代大統領となるムスタファ・ケマルによってスルタン(君主)制が廃止され、オスマン帝国の約600年にわたる歴史の幕が閉じられたのです。
翌年に成立したトルコ共和国で、ケマルは政教分離や文字改革(アラビア文字の廃止)を推し進め、「アタチュルク(トルコ近代化の父)」と呼ばれました。ただし、トルコの国民のほとんどがイスラム教徒であることは、現在も変わりません。
ところで、トルコは「アジア」に分類されることも多いですが、EU(ヨーロッパ連合)の加盟候補の国としても注目されています。しかし、さまざまな理由からEUの中でも加盟への反対意見も多く、なかなか実現には至らないようです。
■[監修者]苅安 望(かりやす・のぞみ)
日本旗章学協会会長。1949年、千葉県生まれ。早稲田大学政治経済学部政治学科卒業。総合商社に入社し東京本店、ニューヨーク支店、メルボルン支店食品部門勤務を経て、食品会社の取締役国際部長、顧問を歴任し2015年退職。2000年より旗章学協会国際連盟(FIAV)の公認団体である日本旗章学協会会長。北米旗章学協会、英国旗章学協会、オーストラリア旗章学協会、各会員。旗章学協会国際連盟にも投稿論文多数。著書は『世界の国旗と国章大図鑑 五訂版』『こども世界国旗図鑑』(平凡社)、『世界の国旗・国章歴史大図鑑』(山川出版社)など多数。
この記事の出典:
苅安望[監修]『国旗のまちがいさがし』
クロスメディア・パブリッシング