私の家族は“理想的”なんかじゃない
絵に描いたような、理想の家族―。幼少期、恵さんは周囲からそんな言葉をかけられていたそう。控えめで上品な母親と、人当たりがよくて優しい父親…。しかし、それは表の姿。有香さんが見てきた本当の姿は全く違うものでした。
「母親は控えめというより、アル中の父親に怯えていました。父親は自分の思い通りに家族が動かないと罵声を浴びせたり、無視をしたりする人。些細なことで機嫌が180度変わるため、どんな言葉を口にしたらいいのかといつも考えていた。機嫌が悪いとドアを勢いよく閉めるので、母と私はその音にもビクビクしていました。」
父親の飲酒量は年々多くなっていき、恵さんが中学生になる頃には会社を辞め、昼間から浴びるようにお酒を飲むように。そのため、母親は昼間は飲食店でパートをし、夜はスナックで働き始めたそう。
「父親とふたりで過ごす時間が増えて、苦痛でした。料理ひとつとってみても、自分は動かないくせに文句ばかり。今でも覚えているのは、お米を炊く時に水の配分を間違えてしまって少し柔らかくなってしまったら『こんなにもどうしようもない馬鹿はいない』とか『人様に笑われるような子だ』と暴言を吐かれたこと。」
社会に出ていった時に恥ずかしくないよう、俺が躾けてやってるんだから感謝しろ―。父親は暴言を吐く時、必ずそんな言葉を口にしたそう。「暴力は振るわれませんでしたが、少しでも言い返すと物を投げられたり、さらに人格否定されたりしたので、何も言えなくなりました。声があり、言葉も知っているのに何も言えない。悔しかったです。」