手作り神話と「こうすべき論」

ポテサラ論争の際、最初に話題となったのが「ポテトサラダは簡単かどうか」という問題でした。男性が「潰して混ぜるだけだろう」と考えるのに対し、「ジャガイモを茹でて皮をむく手間、お芋以外の食材を切って混ぜる面倒くささなどを知らない」と意見が対立。大変さを分かっていないことへの怒りがまずあがりました。

そして、次に話題となったのが「知らない人に対していきなり失礼なことをいう」態度。そして、相手の事情を知らないにもかかわらず「母親ならこうするべき」という自分の価値観を押し付けたことへの批判も多数集まっていたように思います。

多様化が進む現代社会において「そうであれば、こうすべき」という意見は相手を傷つけることも多く、違った事情や背景を持つ人に対して思いやりや配慮が欠けているのではないか、という点が多くの人の感情を逆なでしたとも考えられます。

厚生労働省が発表した「専業主婦世帯と共働き世帯の推移」によると、昭和55年頃には共働き世帯の倍ほどいた専業主婦も、今や逆転し専業主婦は共働き世帯の約半分。当時は仕事を持たない主婦も多く比較的時間にも余裕があったり、スーパーのお惣菜がそれほどまで普及していなかったため「作るのが当たり前」という感覚だったのかもしれません。

また、「手作りこそ母の愛情」という神話を信じ、そんな姿こそ当時の多くの人が思い描いた母親像だった可能性も。高齢男性にとり、ポテサラを購入しようとした女性は自分の知る母親とかけ離れていたため、それを受け入れることができなかったという可能性もあります。