小説の世界が現実に
2007年に出版された経済小説「カラ売り屋」(黒木亮著、講談社)では、不正会計を行った企業の「売り」のレポートを発行したカラ売り屋と、その企業との攻防戦が詳細に描かれています。まさに、その小説の世界が、今月から日本市場でも現実化しようとしています。
2016年7月8日付け日本経済新聞は、企業の不正を見極め、企業の本質的な価値に比べて株価が割高な銘柄を“空売り”することで利益を追求する米国籍の投資ファンド、グラウカス・リサーチ・グループが7月から日本株投資を開始すると報じています。
同社は、すでに数か月前から有価証券報告書などの公開情報を徹底的に調べあげ、数銘柄の空売り対象を選別したとのことです。
なぜ、注目のニュースなのか
空売りとは、一言で表すと値下がりで利益を得る取引です(売りはショート、買いはロングと言います)。具体的には、証券会社から株を借りて売却し、その株が値下がりした時点で買い戻すことで利益を得ることになります。
こうした投資手法自体は、ヘッジファンドだけではなく、個人投資家も日常的に行っている投資手法ですので特段の話題性はありません。また、実体に比べて高すぎる銘柄に対して証券会社が「売り」推奨のレポートを発行することも一般的です。
では、なぜ今回、この同社の日本進出がニュースになるのでしょうか。理由は3つあると思います。
第1は、単に株価指標などを見て割高株を空売りするのではなく、企業の不正会計やコーポレートガバナンスの不備に着目して空売りを行うというアクティビスト(物言う投資家)的な投資スタイルであることです。
第2は、空売りを行った銘柄に関する調査レポートを公開する(世に問う)というのも異例で、注目されます。
第3は、現物株を購入(ロング)し、その値上り益を狙うアクティビストファンドは、日本市場ではサードポイントなどが既に有名ですが、同社のように売り(ショート)から入るアクティビストファンドが、これまで日本市場ではほとんど見られなかったことも注目される一因です。
なぜ、今なのか
また、なぜ、このタイミングでの日本上陸なのかが気になるところです。
その答えは、6月24日付けのブルームバーグの記事にある「安倍首相の企業統治イニシアチブに加え、東芝や一部の自動車メーカーの不祥事を受けて、今が日本に参入する良い機会だ」という同社の関係者のコメントにヒントがあると思います。
昨年発覚した東芝問題などから、大企業は不正を行わないという幻想が崩れ去り、これまで以上にコーポレートガバナンスへの関心が高まっている今であれば、同社のような活動(公開情報に基づいた分析から会計不正あるいは誤謬を追求すること)は、毛嫌いされるどころか歓迎されるであろうという目算を、このコメントから読み取ることができると思います。
レポートの内容に注目したい
空売りという投資手法は目論見通りに株価が暴落した場合は大きな利益をもたらします。一方で、予想に反して急騰してしまった場合は、高い値段で株を買戻し証券会社に借りた株を返さなくてはいけないため、大きな損失を被ることになります。
また、現物株の買いでは、最大損失は株価がゼロになることですが、ゼロ以下には値下がりしないため、損失額は有限です。一方、空売りの場合、値上りには上限がないため、損切りをしない限り損失は無限大に拡大してしまうことになります。このため、空売りは現物株の売買以上にリスクの高い投資手法です。
同社が、こうしたハイリスクな投資を行えるのは、自社のリサーチ力に絶対の自信があるためと推察されます。実際、6月23日付けのロイターのニュース記事によると、「(証券会社の)リサーチレポートの質は低い。われわれの質の高い調査が不正の抽出につながり投資アイデアを生む」という同社関係者のコメントが紹介されており、自信のほどが伺えます。
現時点では、まだレポートは発行されていませんが(7月中に調査レポートを発行するとのこと)、その内容が大いに注目されます。
やっかいな存在かもしれないが、まずは受け入れたい
同社のホームページを見ると、現在「Strong Sell」としている銘柄の多くは、米国や香港市場で上場している中国本土企業であることが確認できます。このため、今後、同社の空売り対象となる日本企業は、中国本土企と同列に並べられるという非常に“不名誉”な扱いを受けることになります。
とはいえ、カラ売り屋自体の存在自体を否定することや、同社の存在を過度に脅威に感じる必要はないと思います。
空売り対象となった企業が正々堂々とマーケットに対して会計的な不正や誤謬がないことを主張し、これがマーケットに受け入れられれば、株価はショートカバー(空売りの解消)により大幅に上昇し、同社のファンドに莫大な損失を与えることができるからです。また、場合によっては、風説の流布として訴えることも可能でしょう。
上記の例は同社のリサーチ力が不十分である場合ですが、逆にそのリサーチが秀逸で、非常に的を射たものであるとしたら、同社が大きな利益を得るのは当然として、それだけではなく、日本の資本市場全体をより健全なものへと変えていく救世主にすらなることになります。
どちらになるかは、同社のリサーチレポートがまだ公表されていない現時点では正確には判断できません。しかし、日本を代表する名門とされた東芝ですら、長年にわたって不正会計を行っていたという日本の資本市場の黒歴史を踏まえると、彼等の活躍には期待したいところもあります。
ちなみに、同社のホームページによると、社名にあるグラウカス(Glaucus)という言葉は、「ギリシア神話にでてくる難破した船の乗組員を助けに来る海の神」だそうです。
LIMO編集部