姑が人差し指で棚のホコリを取って「○○さん、お掃除が行き届いていませんね」という野際陽子張りの姑が今どきいるかどうか分かりませんが、時代が変わっても嫁いびりが絶滅することはありません。息子の結婚を表面では喜んでいても「息子を嫁に取られた!」という思いはいつの時代も変わらぬ母親の正直なところかもしれません。

とはいえ、いびられている嫁のみとしてはたまりません。どんないびりが横行しているのか?同居している姑の恐ろしい実態について迫りました。

コンロ掃除途中まで

舅がいないこともあり、姑とは台所が共用で、姑は基本料理をしません。姑がご飯の支度をするのは平日自分の朝ごはんの支度をするのみです。必ず毎朝トーストを食べるのですが(しかもパンの種類は、ダブルソフトをリクエストしてきます)パンを焼いている間、暇だからか台所のお掃除が行き届いているか?チェックは欠かしません。

普段料理をする人ならともかく、ほぼ料理をしないのにチェックだけはするのです。コンロの掃除をしていないと五徳についた汚れをドライバーで削り落として、そのカスを片付けずにコンロに放置しておきます。

仕事を持つ嫁を「助けよう」というより、これみよがしに「掃除していないでしょ?」という片鱗だけ残して片付けないという陰湿さです。ちなみに「途中まで掃除」というバリエーションではヤカンを「途中」までクレンザーで掃除して洗剤を付けたまま放置していることもありました。そんなバリエーション、正直有難くありません。

シンクにクレンザー

筆者が仕事から帰ってくると、シンクとシンク周りにクレンザーをかけてそのまま放置していることが何度もありました。最初は「何だろう?」と思ったのですが、はたと気が付きました。それもコンロの掃除を途中までしているのと同じで「汚い台所!ちゃんと掃除しなさいよ!」というメッセージです。

仕事をして帰ってきてその状態を見ると、かなりガックリきます。昔はその都度ダメージを受けていたのですが、敢えてメッセージを深読みせず、最近はもっぱら「スルー」です。前出のコンロ掃除途中までも同様にスルーするようにして、自分のペースで掃除しています。

そうかと思えば、機嫌のいい時は自分の食器を洗って伏せてあるときもあるのです。機嫌にムラがあり、それも振れ幅の大きいムラです。いちいち取り合っているとこちらの気持ちも振れ幅が大きくなるので、どちらに転んでも喜んだり悲しんだりしないことにしています。

洋服ダンスの服を畳みなおす

洋服の畳み方は、案外そのうちのルールがあっても露出しないものです。なぜなら、人のうちの洋服ダンスの中身を見ることはほとんどないからです。自分が育ったうちの洗濯物の畳み方がそのまま自分のスタイルになり、結婚してからもそれを踏襲するスタイルが多いのだと思います。

しかし、姑は服の畳み方まで指示します。洋服も肌着もクルクル丸めて洋服ダンスの中に入れることを「強要」します。同居当初、居丈高に指導されても最初は「そうか」だとやっていたのですが、自分がそれまでやってきた畳み方とは違い違和感を覚え続けていました。しかも、筆者は5人家族です。洗濯物を畳むのは1回5分かもしれませが、毎日=休みなしでやるととても時間がかかります。

クルクル丸めてしまうのは、確かに見た目はキレイですが、冬場に長袖と半袖の肌着が混在しているときには、クルクル丸めてしまってあると半袖か長袖か?の区別がつかず、選ぶ段に広げて確認することになります。確認した家族がキレイに畳んでしまうことはまずありません。それでも、畳み方、見た目にこだわるのです。

盾をつくと「そんなの常識でしょう!」と来たので、無視して自分のやりやすい畳み方でやっていたら、今度は勝手に引き出しを開けてクルクルし始めました。孫の引き出しをわざわざ開けてです。しかも、その作業が時折自分の息子である夫の肌着にまでに及びます。正直いって「気持ち悪い」の域です。何度も「そのままでいい、放っておいてほしい」といっても全く聞く耳を持ってくれなく、懲りずに現在もずっと続けています。

「キレイ」「きたない」の基準は人それぞれ