子育てをしていく中で、常に自信満々でいる母親など、ほとんどいません。初めての子ならなおさら、どのママも手探りで育児を頑張っています。いくら育児書や教育評論家の意見を聞いても、それはあくまで参考にしかなりません。だって、我が子自身に対するものではないのですから。

「似ているケース」「こんな場合には」という、過去の事例と照らし合わせてみても、そのママと子どもにピッタリ当てはまり、常に正解を導き出してくれる育児書なんてありません。ネットでいくら検索しても、正しい答えなんて見つかるはずがないのです。そんな手探り状態で育児を頑張っているママに、自信が無いのは当然のことです。そして、その自信の無い不安定な心のすき間に他人の「かわいそう」という無責任な言葉が突き刺さってしまうのです。

愛情表現も愛情の掛け方も、人それぞれ

愛情は決して目に見えるものではありません。そして、その愛情を受け止めるのも、決して周りの無責任な他人では無く、貴方の大事なお子さんなのです。キャラ弁は作れなくても、毎日子どもが美味しく食べて大きくなるように願いながら、早起きして作るお弁当。小さいうちから保育園に預けていても、子どもの将来をしっかりと支えるために働くお母さん。自分が多少具合が悪くたって、ご飯を作ってお世話をするママ。

形が目に見えないだけで、この母親の姿のどこに、愛情が無いなんて言えるのでしょうか?愛情の表現の仕方が、人それぞれです。そしてその愛情を向け、感じてほしいのは、他の誰でも無い自分の子どもです。他人の気持ちのこもっていない「かわいそう」なんて言葉に目線を向けるのではなく、我が子の気持ちに目線を向けていきましょう。本当に「かわいそう」なのは、そう言って周りの意見ばかりに左右されてしまう人達なのではないでしょうか。

LIMO編集部