正論が良いこととは限りません。言われた側は、不満や怒りを感じるなど、家庭内不和の要因になることがあります。言われた側が傷ついていることに気づいていない場合は非常に危険です。家族で仲良く暮らしていくための注意点をご紹介します。

(1) 正論は鋭い刃になることも

正論は「あなたは間違っている」「こちらが正しい」という指摘でもあります。気づかずに相手を傷つけている事例を見てみましょう。

一方的に指摘されている

夫が帰宅すると床にはオモチャが散らばり、洗濯物はそのままベビーベッドや椅子にかけてあります。夫は妻に「少しは片付けたら?」と言いました。一言ですが、この場合、妻は「家事ができていない」と否定されたように感じます。「大変だ」「手伝おうね」という共感はなく、一方的に指摘されている状態です。

期待とは反対に怒られてしまう

次に、子どもに対する言葉も見てみましょう。急須からコップにお茶を汲もうとした子ども。親が気づいて「落としちゃう!」「あぶない」と止めました。子どもが新しいことを始めるときは一つのチャレンジの場面でもあります。また、お茶を汲んで「ママに喜んでもらいたい」「できたね!って褒めてもらいたい」という気持ちもあるでしょうし、ママの真似をしたい時期でもあるでしょう。

そういったヤル気をくじかれ、期待とは反対に怒られてしまうこともあります。大人はつい、危険性を考えて止めがちですが、否定することなく見守ってみるという勇気も必要になってくるでしょう。

(2)正しさは人によって違う

「正しい」という基準は人や状況により異なってくるはずです。前述の例を違う視点で見てみましょう。

部屋の片づけ

母親としては育児に追われる中で、片付けを後回しにして子どものことを優先しています。日中、子どもがぐずることが多かったり、母親も体調がすぐれず動けなかったり、家事をする余裕もないはずです。片付けなければ部屋は汚れますが、子どものお世話よりも本当に優先すべき事柄でしょうか。

子どものお茶くみ

お茶をこぼしてしまっても、挑戦することによりだんだんと上手に汲めるようになります。重さ・量の感覚や、手首の使い方といった動作も学べるでしょう。「お手伝い」は多くのことを学ぶ機会になるのです。

このように考えると、正論は「一つの面から見た正解の一つ」だということが分かります。間違いではないのかもしれませんが、完全な正解でもない、ということでしょう。

注意すべきは、自分が正しいという発想の場合です。仮に正論であったとしても、「相手を傷つけているかも」と思いながら話をするなら、言葉を選ぶなどの配慮ができます。しかし、「自分は正しいことを言った」「適切だ」という場合は自分の正しさにしか目が向いていません。傷ついた相手は、たとえ正しい話であったとしても受け入れることができなくなるのです。

( 3 )それ「モラハラ」では?

正しい指摘であっても、相手に繰り返し嫌なことを言っているとき、相手にとって「モラハラ」になっている場合があります。家庭内でも起こりやすいモラハラの事例を見てみましょう。

モラハラは気づきにくい

家庭内でのモラハラは、すぐに「これはモラハラだ」と気づきにくい問題です。その言動が家庭内で日常化されていると、加害者も被害者も、やり取りが「いつものこと」になりやすいのです。

相手から辛い言葉を言われ続けて「その通りかも」と思い込んでしまったり、「私はダメな人間だ」と自己嫌悪に陥ったり、自信を失って何も考えられなくなることもあります。モラハラはどんな形であっても「いやがらせ」であることには変わりないのです。

夫婦間のモラハラにはどんなパターンがあるのか