たとえば、上野樹里という俳優は主役を張ることも多いので「主役の演技」に注目されがちですが、この人は指先まで芝居をする俳優です。コップを持つときの手の表情ひとつも役によって変わります。

京都アニメーション作品の登場人物もそういった細かな芝居をします。指の動き、視線の動き、ときには髪の細かな1本までが、見る者に少しずつ状況や心情を伝えていくのです。ときには、表情や視線を描写するのに顔は描かない、という手法が取られることもあります。

もう一度『リズと青い鳥』を例に引きましょう。この作品には、戸惑いや焦りなどを現すために手許を描写する場面がたくさんあります。

その手も正面からだけではなく、背面のときもあれば側面のときもあります。あるいは、その手すらも画面になく、ただ足許だけが画面に映る場面もあります。人物の感情や心の動きを表現するのは顔の表情だけではない、ということが、よくわかる場面です。

手を描写する指先までの演技。視線の移動(即ち心の動き)がよく伝わる「本人が画面にいない」描写。言ってみれば、「それそのものを描かず別のものを用いて表す」という純文学的表現です。それが繊細な少女の心情、その微細な変化を伝えてきます。

このような細やかな、精密な表現・描写を『リズと青い鳥』だけでなく、ほぼすべての作品において京都アニメーションは行っています。いいことなのかそうでないのか、これが「京アニクオリティ」と呼ばれ、高評価されているのです。

つまり、これまで制作されてきたアニメーションには、これだけのことができているものがごくわずかなのだということです。テレビ用アニメーションで顕著ですが、心情や状況をすべて台詞で説明してしまう、場面によって人物の顔(表情ではなく)が違う、アニメーションなのに動きがないなど、アニメーションとしてお粗末なものがあるのが事実です。こういった作品は、見ていて不安になるものです。

それは予算や制作時間の少なさが影響してのことなのですが、こういったことも高品質の作品がつくれるようにきちんと調整・管理できているのが京都アニメーションなのです。

仕上がった作品が高品質であることはもちろん、高品質の作品をつくり出す努力もまた高品質である。そのことによって京都アニメーションの作品は「安心して見ていられる」作品ばかりなのです。

おわりに

「京都アニメーションのすごいところ」についてお話ししてきました。京都アニメーションは会社としての立ち方からアニメーションを変革し、安定した高品質を生み出しています。その質の高さはまさに「神は細部に宿る」。みなさんも京都アニメーション作品の細部に宿るものを、ご自身の目で確かめてください。

衛澤 創