経済を語る人には経済学者、景気の予想屋、市場の予想屋、トンデモ屋の4種類いる、と久留米大学商学部の塚崎公義教授は説きます。
筆者は景気の予想屋
筆者は、もともと景気の予想屋です。今でも、景気の予想をしています。少し格好をつける時には、自分のことを「エコノミスト」と読んでいます。しかし、自分のことをエコノミストと読んでいるのは景気の予想屋だけではありません。
経済について語る人々は、経済学者、景気の予想屋、市場の予想屋、トンデモ屋の4種類いますが、いずれも自分たちのことをエコノミストと読んでいるので、紛らわしいのです。
経済学者は、現実より理論を優先
経済学者は、理論を重視します。問題は、彼らの前提が現実ばなれしていることです。現実は複雑すぎるので、とりあえず「人間がすべての情報を持っていて、常に正しい行動をすると仮定すると何が起きるのか」を考えるのが現在の主流派経済学だ、というわけです。
物理の世界は経済の世界よりはるかに単純なので、「引力等がなければ投げたボールは真っ直ぐ飛んでいく。ところが実際は引力等があるので・・・」というところまで研究が進み、人類が宇宙に行けるようになったわけです。
いつの日にか経済学がこのレベルまで達し、「ところが実際は・・・」ということが研究できるようになることを期待しましょう。
問題は、経済学者が「自分たちは経済がわかっている」と思っていることです。かつて高名な経済学者と雑談をする機会があり、「円高で輸出企業が倒産して、失業が増えて大変ですね」と申し上げました。
そうしたら、「何も困ったことはないよ。失業した人は輸出企業以外に就職すれば良いのだから」と教えてくださいました。この方とは一生、二度とお話しすることはないだろうと思ったものです(笑)。
市場予想屋は、皆が注目するものに注目する
景気の予想屋は、景気自体を予測するために経済指標等を見ますが、市場予想屋は株価や為替等を予想するために経済指標等を見ます。両者は似ているようで、実は大きな違いがあります。
第一は、観察の対象です。市場予想屋は、金融政策と米国雇用統計に大いに注目する一方で、鉱工業生産等々にはあまり関心を払いません。それは、鉱工業生産指数等が発表になった時に株価等が動かないからです。
株価等が動かないなら、投資家は鉱工業生産等を見る必要性を感じません。そうなると、ますます鉱工業生産発表日に相場が動くことがなくなり、ますます投資家や市場予想屋たちが鉱工業生産を見なくなる、というわけです。
違いの第二は、情報への反応速度です。景気予想屋は「経済指標は振れるから、一喜一憂しないで景気の大きな流れを感じ取るように」と教育されて育ちますが、市場予想屋はそんなことをしていたら株価等の動きに取り残されてしまいますから、一喜一憂するのが仕事なのです。
景気予想屋は「市場予想屋は雨が降ると洪水を心配し、雨が止むと水不足を心配いする」と批判しますが、市場予想屋は「景気予想屋は堤防が決壊してから洪水を心配し始める」と批判します(笑)。
両者には上記のような違いがありますが、これは違いであって優劣ではありません。景気を予想したいのか株価や為替を予想したいのかで、使い分ければ良いのです。
その際に、予想屋がどちらであるかを見分けるには、「金融政策の話が長いなら市場予想屋、短いなら景気予想屋」と考えておけば、ほぼ間違いないでしょう。
トンデモ屋は立派なビジネスモデルだが・・・
常に世界恐慌を予言し続けているような人がいます。あれは予想しているのではなく、ストーリーを語っているのです。世の中には悲観論を聞きたいという人が必ずいますから、固定客が掴める優れたビジネスモデルなのです。