バブル当時は、男性が高級乗用車に乗って彼女をドライブに連れて行き、高級レストランで食事をするのが望ましいデートの形とされていましたが、今ではアパートでコンビニ弁当を食べながらゲームをすることに抵抗感がなくなっているようです。

当時は新品を買うのが普通でしたが、今では中古品の購入に抵抗を感じる人が減りました。インターネットの発達によって個人間の中古品の売買が容易になったことも、中古品の活用を後押ししているはずです。

こうして、以前より安い費用で以前と同様の満足度が得られるようになっているのだとすれば、それも実質的には我々の生活が豊かになっている、ということなのでしょう。

豊かさを実感できないのは、気分の問題が大

上記のように、我々はバブル期より豊かに暮らしているわけですが、それが実感できないのは、気分の問題によるところも大きいようです。

まずは、「思い出補正」です。人間は、楽しかったことの方が苦しかったことよりも記憶に残るようです。そこで、バブル期の生活が実際より素晴らしかったように記憶されているのでしょう。

そもそも、バブル期には「インターネットがなくて不便だ」と感じていた人がいなかった、ということも重要です。今の我々が見ると不便な生活であったわけですが、それを不便だと感じなかったので、バブル期は不便だったという記憶が残っていないわけです。

賃金が上がっていないことも、一因かもしれません。実質的な生活が豊かになっても便利になっても、やはり給料が上がらないと、自分が豊かになったと実感しにくいのかもしれません。

他者との比較で自分の豊かさを計る人もいるでしょう。そういう人は、自分の生活がバブル期より豊かであったとしても、他人との相対的な関係が変わらなければ豊かさを実感できないのかもしれません。

そうだとすると、格差が拡大していると言われる今、バブル期と比べて豊かさを感じることができる人が少ないということもありそうです。

以上のように、豊かさが実感できない理由は色々ありそうですが、新しい時代を迎えたわけですから、読者にはぜひとも豊かさを認識していただき、明るい気分で過ごしていただきたいものです。本稿がそれに少しでもお役に立てたのであれば、筆者として嬉しいことです。

本稿は以上です。なお、本稿は筆者の個人的な見解であり、筆者の属する組織その他の見解ではありません。また、厳密さより理解の容易さを優先しているため、細部が事実と異なる場合があります。

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塚崎 公義