先日、アメリカの実業家で、Instagramのフォロワー1億4000万人を誇る「お騒がせセレブ」キム・カーダシアン氏が、「KIMONO」という名を冠した下着ブランドを発表しました。さらにそれが昨年、アメリカで商標登録申請されていたことが発覚し、日本だけでなく海外でも大きな話題を呼んでいます。

なんで「KIMONO」が下着の商標に?

ミュージシャンのカニエ・ウェストの妻としても知られるカーダシアン氏の手によって「KIMONO」ブランドの製品として発表されたのは、ヌーディな色をした女性用の補正下着です。海外では着物は「緩いガウンのような日本の伝統衣装」として捉えられていることもありますが、今回発表された下着はガウンのような長い裾があるわけでもなく、日本の「着物」とは似ても似つかないものとなっています。

そのため、この件はネット上でも大きな反発を呼んでいます。

「日本の伝統文化を奪わないでほしい」
「着物=下着になるなんて絶対に嫌だ」
「そもそも着物は鳩胸寸胴が美しいとされているから体のラインを出すのと無縁だと思う」
「着物がKIMONOとして海外で売れなくなってしまう」
「何もわかってない奴が小手先の商売道具に利用してるのが腹立つ」

このように、キム・カーダシアン氏を非難し、「KIMONO」の商標を変更するよう声を上げる人が多数見られます。また、「#KimOhNo(「そりゃないだろ、キム」と「KIMONO」をかけた二重の意味)」というハッシュタグを付けて、着物を着用している画像を投稿し、「KIMONO」は下着ではなく日本の伝統衣装であることをアピールするムーブメントも起こっています。

表層だけさらった「文化盗用」か

表現はさまざまですが、「『KIMONO』の商標登録は文化盗用だ!」という批判は、国内外で上がっています。「文化盗用」とは、主に「ある民族などの文化的要素を、その文化圏に属さない人間が表層だけさらって取り入れること」を指す言葉で、近年しばしば議論される問題です。

とくに、虐げられた歴史を持つ民族などマイノリティの歴史を無視して、マジョリティがその文化の一要素を都合よく借用することは、世界でも強く非難されています。

「KIMONO」の件と同じファッションでいえば、アメリカの人気歌手・女優であるセレーナ・ゴメスが、自身のコンサートで、ヒンドゥー教信者の既婚女性が額に施す赤色の丸い装飾「ビンディー」をつけたことや、白人のアメリカの高校生が卒業式でチャイナドレスを着用したことに対しても、「文化盗用だ!」として批判が集まったことがこれまでにもありました。

こうした議論はファッションだけでなく、音楽でも見られ、「非黒人であるブルーノ・マーズが黒人音楽をやるのは文化盗用だ」とする意見が出てもいます。古くは、1990年代中盤に大ヒットし、96年のアトランタ五輪のテーマソングにもなったエニグマの代表曲「リターン・トゥ・イノセンス」が、台湾の原住民であるアミ族の長老の歌を無断でサンプリングして使用したと問題になったこともありました(その後、当事者の間で和解が成立)。

「融合」と「盗用」の境目

日本食として海外でも人気の寿司は、アメリカなどで独自に進化しており、カリフォルニアロールもそこに含まれます。そうした中、米スターバックスが生魚の代わりに鶏肉を使った「寿司ブリトー」の販売を始めた際も、「文化盗用」として批判が殺到していました。

ほかにも、ファッション雑誌「VOGUE(ヴォーグ)」が、白人モデルが芸者の格好をした写真を公開した際には、各国からネガティブな意見が続出し、モデルは自身のSNSに謝罪コメントを掲載するに至りました。「人種のるつぼ」だけに、「これってマイノリティの文化への便乗では?」という点には厳しい視線があるのかもしれません。

一方で、何でもかんでも「文化盗用」と言ってしまうと、ある文化がその文化圏の中だけにとどまり、衰退していってしまうこともあるのが難しいところです。

また、たとえばこれまでの音楽や食べ物などの歴史を見ても、流入した文化がその先で独自の進化を遂げる、現地の文化と上手に融合する、といったことはよく見られます。日本でも、一部の中華料理やラーメン、カレーなどはそうした独自進化にあたるといえますし、チャイナドレスやメイド服などは「かわいいから」という理由でコスプレの衣装として使用されることもあるだけでなく、それが「クールジャパン」として売り出されるほどです。

どこからが「盗用」なの?

「文化融合」とされてきたものが「文化盗用」として非難されることになれば、「異なる文化には触れないでおこう」という考えを持つ人が現れてもおかしくありません。そうなってしまえば、文化交流すらできなくなってしまいます。

また実際問題として、「じゃ『文化の利用』が適切かどうか、誰が判断して許可するの?」という問題も含めて考えると、「文化盗用」はかなり曖昧な言葉だともいえます。

今回のカーダシアン氏の商標登録の件は、現在はまだ「審査中」という状態ですが、仮にこの申請が通って商標と認められてしまうと大変です。以前から海外でも一定の人に知られていた日本の伝統衣装であり、日本人にとってはもちろん「一般名詞」という感覚の着物なのに、その「KIMONO」の名称を広告などに自由に使えなくなる可能性があるという点で、大いに問題だといえます。しかし、それを単に「文化盗用」という言葉で切り捨ててしまうと、また違う場で、着物がよい形で世界に知られる可能性を潰すこともあり得ます。このあたりが非常に難しいところです。

何でもかんでも文化の融合を規制する方向へ向かうのではなく、そこでどういった実害が出るか、どういった人たちに被害が及ぶか、あるいはどんなメリットがあるかをより具体的に考えることが、それぞれの文化圏の人を尊重しながら交流していくことに必要なのではないでしょうか。

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