米半導体大手のマイクロンテクノロジーが建設を進めていた広島工場(Fab15)の新棟が完成、6月11日に開所式を開催した。同工場におけるクリーンルーム(CR)の新設は実に10年ぶり。開所式には地元自治体関係者、マイクロン役員のほか、ゼネコンや製造装置・材料メーカーなど工場建設に携わった150社以上の企業が参加した。広島工場はもともと、経営破綻したエルピーダメモリの旗艦工場。2012年の会社更生法申請で「日の丸DRAM」の灯は消えたかに見えたが、国内唯一のDRAM工場としてたくましく生きている姿がそこにはあった。
経営破綻したエルピーダメモリの旗艦工場
周知のとおり、広島工場はNEC広島を源流とし、その後、日立製作所とNECのDRAM部門が統合(その後三菱電機のDRAM事業も合流)して誕生したのが、エルピーダメモリである。
エルピーダメモリは02年に社長に就任した坂本幸雄氏のもと、モバイルDRAMに活路を見出し、広島工場での積極的な設備投資に加え、台湾に量産工場(レックスチップ)を設け、韓国サムスン電子との厳しい競争を生き抜いてきた。しかし、その後のリーマンショックに加え、歴史的な円高が業績を直撃。自力再建を前提に、他社との協業を模索していたが、銀行からの借り換えが難しい状況下、2月27日に会社更生法の適用を申請。法的整理という道を選んだ。
その後、マイクロンがスポンサーとして選定され、広島工場も米国資本の傘下となった。エルピーダメモリは度々「日の丸DRAM」と表現されることがあったが、この会社更生によって、日の丸DRAMの灯は消えることとなった。
会社更生法申請から丸7年が経過したが、広島工場はマイクロンのDRAM事業における最重要拠点として、エルピーダ時代よりもその存在感を強めている。それが端的に出ているのが広島工場で働く従業員数だ。エルピーダの経営破綻当時、広島工場の従業員数は約2000人であったが、現在は3000人を超える規模まで拡大。研究開発やプロセスエンジニアなど高度な人材を中心に増員を図っており、単なる量産工場という位置づけではなく、開発能力の強化を図ってきた結果だといえる。
新棟稼働でCR面積は1割拡大
新棟は1Ynm世代以降の先端DRAM製造に対応したもので、広島工場のCR面積は従来に比べて1割増えた。広島工場ではさらなる建屋拡張も予定しており、DRAM事業におけるマザー工場としての役割を強めていく。
新棟「B2」は事務棟エリアを取り壊して、新たに建設したCRスペース。18年夏ごろに工場建屋が完成し、途中西日本豪雨の影響で装置導入スケジュールに遅れが生じたものの、18年末から装置導入を開始し、このほど開所式を開催した。
新棟のCR面積は7.7万平方フィート(約7100㎡)。スペースに対して約9割の製造装置が導入されており、E棟など既存CRと搬送システムを使って、ウエハーは行き来することができる。搬送システムは広島工場で初めて、上下2段の構造を採用して搬送効率を高めている。
新棟建設の目的は、ウエハー投入キャパシティーの増強ではなく、DRAMの微細化に対応したもの。微細化によって、製造工程数は飛躍的に増えており、同一のCR面積ではウエハー投入キャパは減少してしまう。今回、CRを増床することで微細化してもキャパシティーを維持できる。
新棟は主に1Ynm世代に対応した製造装置で構成されており、19年後半からは次世代の1Znm対応の設備導入も開始し、年末から一部生産も開始する。1Zは競合他社に比べても競争力があるとみられており、シェア拡大が期待されている。
第2期投資にも着手
今回の新棟完成は広島工場拡張における第1期投資という位置づけであり、すでに第2期のプロジェクトがスタートしている。もともと、受託テストを展開する㈱テラプローブがオンサイトオペレーションを展開していたウエハーテストラインの建屋(F棟)を取り壊しており、ここに「新F棟」を建設する計画だ。完成時期や設備導入スケジュールは今のところ未定だが、1Z以降の1αや1β世代に対応した投資となる。
マイクロンのDRAMオペレーションは、台湾を大量生産を担う中核拠点「センター・オブ・エクセレンス(CoE)」とする一方、広島を先端技術DRAMのCoEと位置づけている。広島工場はDRAM製造におけるすべてのプロセスノードの開発・立ち上げを行い、製造プロセスを台湾にある2つの量産工場(Fab11とFab16)に移管するという重要な役目を担っている。
広島工場の重要性は以前にも増して高まっており、新棟稼働に伴い、新たに400人のエンジニアおよび製造装置の管理・点検などを行う技術者を採用した。今後3年間で大学生の新卒採用も行い、エンジニアリング職を約500人増員する計画だ。
電子デバイス産業新聞 副編集長 稲葉 雅巳