「沽券」とは不動産売買などで、売り渡したことを示す証文です。そこに由来して「沽券にかかわる」という言葉が生まれ、価値やプライドが傷つくという意味を持つようになったようです。

今や学業や出世で女子に負けても違和感なし。「男子の沽券」は、本能的なものではなく、単なる過去のトレンドであり、一種の錯覚だったということでしょうか。

冒頭で紹介した中3男子に塾の講師は、「本当に女子に負けて悔しくないか」と念を押したそうです。

「うん! ……でも、体育で女子で負けたら悔しいかも。もし短距離走とかで負けたら恥ずかしいし、自信もなくなって立ち直れないよ、きっと」

体育は男女別の授業ですから、負けて悔しいことに気づきにくいのでしょう。どうやら現代でも男子の沽券は、完全に消えたわけではなさそうです。

男女それぞれの得意が生かせる社会が望ましいが

ペーパーテストの結果で人生が決まることの多い現代、座学に強い女性が活躍する場面は広がり続けるでしょう。男性もそれを受け入れているのであれば、外野がアレコレ言うのは無粋というものです。

とはいえ、どちらかの性が圧倒的に優位な社会は不自然な気がしないでもありません。学業で優秀な女性、体力に自信を持つ男性。両性の得意を生かしていける社会にするには、ペーパーテスト以外の新たな価値を見いだしていくしかないのかな、と思ってみたりします。

それとも体育が男女一緒の授業になったら、新しい価値観が体力になったら、まじめな女子たちはがんばって体力でも男子より勝っていたりすることも……。

間宮 書子