なぜ「お母さんに見えない」を不愉快に感じるのか

「お母さん」を否定しないで!

子どもを保育園に預けて働いているお母さんの中には、こんなことを言われたことがある人はいないでしょうか。「子どもがいるなんて驚きました」「お母さんに見えないですね」。

今年の2月にファッション誌「Domani」が「“ママに見えない”が最高のほめ言葉」といった広告コピーを打ち出し、議論を呼んだことも記憶に新しいところでしょう。今回は、この「お母さんに見えない」について考えます。

自分の苦労や思いを否定された気持ちになってしまった

続きを読む

昨年出産し、生後9か月の息子がいる筆者は先日、この「お母さんに見えない」に遭遇。子どもを保育園に預けて仕事をしていた日、久しぶりに会った知り合いに近況を尋ねられて答えた際に返ってきた言葉でした。「お母さんに見えない」と他人に言われたのは初めての経験でしたが、何とも言えない後味の悪さを覚えてしまいました。

辛く大変な思いをして妊娠期間を過ごし、無事に出産し、毎日が戦いのような子育てを経験し、保育園になんとか預けてからは仕事と家事育児の両立に奮闘する毎日。そんな母親業の苦労や頑張りが、「お母さんに見えない」ですべて否定されたような気がしたからです。

筆者は年相応の20代後半で、場合によっては30代前半に見られることもあります。その人の「お母さんに見えない」の意味するところが「若い」ではないことは明白。

「お母さんに見えないなら、どんな風に見えているんだろう」というモヤモヤが残りました。しっかりしていない? 頼りない? 苦労していなさそう? そもそも見た目について何か言われている時点で不快に感じてしまった一件でした。

自分の「母」イメージを押し付けないで

他人に「お母さんに見えるか否か」について言われることの気持ち悪さは、もう一つあります。それは、自分の考えるお母さん像を押し付けられている気がするからです。

参考記事

ニュースレター

メールアドレスをご登録いただくと、毎朝LIMOの更新情報をお届けいたします。

あわせて読みたい

秋山 悠紀

早稲田大学文化構想学部出身。女子高でサッカー部、フリーター、演劇活動、編集プロダクションなどを経て独立。
子育てへの不安から1年半の保育園勤務の後、第一子を出産。
現在、長男を育てながら女性の生き方、子育て、ジェンダー、社会、旅、ドラマ、映画について執筆中。