なぜ「お母さんに見えない」を不愉快に感じるのか

「お母さん」を否定しないで!

つまり、「お母さんに見えない」も嫌ですが、「お母さんっぽい」「母の顔になってきたね」も嫌だということ。「お母さん」「母」「ママ」のイメージは人それぞれ持っていてしかるべきですが、そのイメージとかけ離れているのかどうかについて、いちいち言う必要は全くありません。

筆者に「お母さんに見えない」と言った方はきっと、社交辞令の一つとして褒める意味で言ったのだとは思います。しかし、「お母さんに見えない」が褒め言葉として公然と使われる世の中は、お母さんをなんだと思っているのでしょう。お母さんに見える女性はダメなんでしょうか?

言われた時はなんとなく「ありがとうございます」と受け答えてしまった「お母さんには見えない」でしたが、後からいろいろと考えて、一人のお母さんとして強い憤りを覚えてしまいました。

他人の見た目をあれこれ言うことに慣れすぎ?

自分の持つイメージや既成の価値観について、無意識で他人に言ってしまうことはしばしばあります。「男の子っぽくないね」「既婚者に見えない」といった見た目に関することだけではなく、結婚や子どもの有無、個人のセクシャリティなどプライベートに関すること。

私たちはこれまで、他人の見た目やプライベートに対してあれこれ言うことにあまりにも疑問を持たない社会の中にいたのかもしれません。しかし、これらは悪気がなかったり褒め言葉として言ったりといった免罪符があれば問題ないわけではないでしょう。そろそろ、そういったことから脱却する社会であってほしいと思います。

一方で、こういった発言は言われた当事者でなければわからないことも多々あります。今回、筆者は初めて「お母さんに見えない」という言葉は全く嬉しくない人もいることを身をもって理解しました。少しずつ、当事者の声が広がっていき、傷つく人や嫌な思いをする人が少なくなればいいなと思います。

秋山 悠紀

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秋山 悠紀

早稲田大学文化構想学部出身。女子高でサッカー部、フリーター、演劇活動、編集プロダクションなどを経て独立。
子育てへの不安から1年半の保育園勤務の後、第一子を出産。
現在、長男を育てながら女性の生き方、子育て、ジェンダー、社会、旅、ドラマ、映画について執筆中。