あえて子どもを産まないことを選択する女性も増えてきた昨今、「女性は結婚したら、子どもを産まなければならない。子孫を残すのが当然!性別は男に限る」という思想は、現代に生きる人間にとってかなり古めかしいもののようにも感じます。
しかし筆者の祖母がそうであったように、未だ女性=子孫製造機というような考えを持っている人がいることも事実です。母が味わった苦悩、そしてなぜ今、娘である筆者に過去の辛い経験を吐露するに至ったのか、その心理に迫ります。
■子どもは3人産んだ…しかし全員女児だった
筆者の母は、27歳の時に父とお見合い結婚をしました。母は銀行員としてバリバリ仕事をしており、キャリアアップを目指していましたが、祖母からの強い要望により、結婚してすぐに子作りを開始し、妊娠しました。
実は当時、祖母は産婦人科でベテラン助産師として幅を利かせていました。そのため妊娠中の食べ物や過ごし方についても、いろいろと干渉されていたそうです。
そして母は、助産師として祖母が立ち会う中、無事に女児を産み落としました。
祖母は孫の誕生を喜んだのもつかの間、女児だったことに不満を漏らし、もう一人子どもを作るよう要望しました。
そして、年子で生まれた第二子も女児。このときも祖母は助産師として出産に立ち会っていますが、実の孫の誕生にも関わらず、あまり喜んでいる雰囲気ではなかったようです。
その後も男児の誕生を希望する祖母からの圧力は続き、2度目の出産から2年後…母は3人目子どもを産みました。性別は…またも女児。これまで同様、出産に立ち会っていた祖母は、分娩台に横になっている母に驚きの言葉を投げかけます。
「3人も女を産んで、どうするの?」
■3人目を産んだあと、不妊手術をさせられた母
祖母からの心無い言葉にショックを受けつつも、3回目の出産を無事に終え、ベッドで休んでいた母にさらなる悲劇が待ち受けていたのです。
病室に入ってきた主治医と祖母から、あろう事か“不妊手術“を勧められたのです。不妊(避妊)手術とは、文字通り外科的手術によって、妊娠ができない体にすること。
母は男児を産めなかったという罪悪感から、その勧めに逆らうことができず、自らの希望という体で卵管結紮(らんかんけっさつ)という不妊手術を受けたのでした。
この信じられないエピソードは決して大昔の話ではなく、昭和から平成へ移り変わるの頃、約35年前の話なのです。