昨年末の大物経営者逮捕から何かと騒がしくなった日仏関係。少し前に読んだ法制度、社会生活、歴史などフランスについて広く記したエッセイ風の書籍を思い出します。その書籍のなかで最も強い印象を受けたのが、国歌でした。

「ラ・マルセイエーズ」
いざ、祖国の子らよ、栄えある日は来たれり!
圧政の血に染む旗はわれらにあげられたり!
かの暴虐なる兵士どもの戦場に叫ぶを聞かずや?
われらの腕のなかにまで来たりて、われらの妻子を殺さんとす。
(リフレイン)
武器をとれ、市民諸君!
隊伍を整えよ!
進め! 進め!
けがれし血をわれらが畑にそそがしめよ!

『裁判官 フランスを歩く』(青林書院)より

「血」「武器」「殺す」。ことあるごとに、こんな言葉の入った歌を歌っているかと思うと仰天しそうになりました。そして、これが国歌について調べようと思い始めたきっかけでもありました。

マルセイユ義勇軍のパリ入城で歌われ、人気を呼ぶ

ラ・マルセイエーズが作られたのは1972年、当初のタイトルは「ライン軍のための戦争歌」でした。フランス革命に干渉しようとするオーストリアへの宣戦布告に際し、北東部国境近くの部隊を鼓舞、激励するのが目的だったようです。それを聞けば、過激な歌詞になったのも頷ける気がしてきます。

まもなく各地の部隊でも愛唱されていくようになったのか、マルセイユ義勇軍がパリに入城したときに歌われ、パリで人気になったそうです。95年7月14日、現在のタイトルに変更され、正式な国家になりました。

その後、ナポレオン時代には禁止されたものの7月革命以降には再び評価され、ベルリオーズにより管弦楽として編曲されています。

ジャコバン派政権下、非業の人生を強いられた作者

作詞作曲は、クロード・ジョゼフ・ルージェ・ド・リール(複数人とする説もあり)で、軍人です。ライン左岸に位置するストラスブール市長の依頼によるもので、一夜で書き上げたとされています。

ラ・マルセイエーズといえば、フランス革命。ただし厳密に見ていくと、微妙にニュアンスが異なる面が否めません。

というのは、依頼者の市長も、作者のリールも革命政府から迫害を受けているのです。ジャコバン派の独裁下、市長はギロチンで処刑死しています。リールも処刑寸前のところで、ジャコバン派が失脚。処刑は免れましたが、革命にも社会にも背を向けて暮らしたそうです。

フランスには過激が似合うのか?

歌詞は7番まであり、7番はリールの作詞ではないとされています。