インターネット上では、「ママ友はこわい」「ママ友地獄のエピソード」など、まるでママ友ネガティブキャンペーンのように日々、様々な記事が配信されています。ネット上で約1,000本の育児コラムを執筆してきた身としては、「ママ友怖い系の記事は、PV(閲覧数)が伸びやすい」という点を否定しようがありません。

自戒をこめて言うと、女対女の構図は、残念ながらニーズがあるのです。

筆者は、ママ友を強く否定する記事の量産によって、「ママ友未満」のゆるいつながりさえも敬遠してしまう女性が増えてしまうことを危惧しています。

ここからは3人の男児を育てる筆者自身の話となりますが、昔、長男と次男がまだ幼かったころ、「ママ友未満」の顔見知りとスーパーで会って野菜の値段の高騰を共に嘆いたり、久しぶりに公園で遭遇してお互いの子の成長ぶりを喜ぶことで、救われたことがありました。

好きな仕事を辞め、友達のいない環境に置かれた絶望的な孤独の中、偶然会ってその場でワーッと盛り上がって「じゃあね!」と別れるだけでも、心がスッキリすることが多々あったのです。

「ママ友」という言葉は、ものすごく気負いのいる言葉。「友達だから」と足並みをそろえてお互いの子供を優しく扱って、頻繁に会って、共感して、互いの痛みを全て分かち合って……なんてことを、ママ友に求め始めたとき、トラブルが生じやすくなります。

もしかしたら、「ママ友はムダ」と声高らかに叫ぶより、ママ友に依存せざるを得ないほど、家族の1人が孤独に育児を背負い込んでいる社会の状況に目を向けるべきなのかもしれません。

北川 和子