以前よりも男性の家事参加率は上がってきましたが、中にはほとんど家事をしないという男性もいますよね。家事を頼めば「なんで俺が?」と返され、一つ家事をすれば「これぐらい簡単じゃん」と言い、注意するとすねて「もうやらない!」と怒るという人も。男性の家事参加には、いくつもの壁が立ちはだかっています。
我が家も何度口論をしたか、数え切れないほど。時に論理的に、時に優しく、時に可愛く頼んでみても長続きはしないのです。もう無理かと諦めかけたところ、意外なことで夫の家事が習慣化されました。
一定期間「やらない」という選択
7歳長男、3歳次男、1歳長女のいる我が家。それまで夫が平日担う家事は、「ゴミ出し」のみでした。土日は洗濯物を干したり、料理をすることもありましたが、平日はほぼしません。それは1人目の産後からで、「3人目を産めば変わるだろう」と思ったものの、3人目の産後も変わりませんでした。
3人目の産後は、長男の小学校入学と長女の出産が重なり、次男は当時2歳で家にいました。日中は下の子2人を見ながら、それまでの家事にプラスで毎朝お弁当を作り(長男はアレルギー持ちで給食でなくお弁当持参でした)、長男の宿題を見て、夜間は長女に2時間おきの授乳。
当然それまでと同じように家事はできず、部屋はオモチャであふれ、夕食後の洗い物と炊飯ができない日が何日も続きました。「やらない」というより「やれない」状況だったのですが、その様子を見て夫は初め「うわ〜ひどいな」と言いました。苛立ちを感じるものですが、この一言が変化に必要だったのです。
愚痴は説明のチャンス
夫に「ひどい」と言われたときに思い出したのが、以前出会ったママの「限界がきてから夫にSOSは出さないようにしているの。限界の3歩手前くらいで、夫にどれだけ自分は心身ともに疲れてるか、オーバーに言うようにしてるんだ。これはママのためにも、子どものためにも大事だよ」という言葉。
夫から愚痴を言われたときこそチャンスと、なぜ夜の洗い物や片付けができないのか、詳しく説明しました。夜は1〜2時間ごとの授乳で眠れず、朝は早く起きてお弁当作り。次男はヤンチャで日中も体力使い、長男の宿題も見なければいけない。お風呂に入れるのも大変で、夜まで体力が持たないと説明したのです。
さすがに夫も状況を理解し、その日はご飯を炊き、洗い物をしました。それからも何度か「家事をやらない→家事ができない理由の説明」を繰り返しました。次第に夫の家事が習慣化され、今では平日の夕食の洗い物と洗濯物を干すのが夫の仕事になっています。
「家事に対する当事者意識」を実感してもらう
今回の件で学んだのは、夫は「妻がやれるなら自分はやらない」と考えていることでした。妻からすると「こんなに大変なんだから少しは察して手伝ってよ!」と思うのですが、どうやら男性は「察する」ことが苦手なよう。いくら頼んでも、ケンカになっても、結局妻が家事をやってしまえば「自分はやらなくていい」と思っているようなのです。
女性に比べ、男性は「家事に対する当事者意識が低い」と言えるのではないでしょうか。当事者意識を感じてもらうためにも、筆者の場合は口で言うより、実際にやらない方が効果が高かったのです。とはいえ、これにもいくつか壁がありました。
「妻が家事をやらない」から「夫の家事の習慣化」までの3つの葛藤
まずは「家事のやり方は人によって異なる」点です。たとえば夫の洗濯物の干し方では、洗濯物が乾かない部分があります。服をピンと伸ばし、全部乾くように干す順番や場所を工夫してほしいのですが、言ってもケンカになるだけ。ケンカを重ねたところで、結局直してくれるわけでもないとわかりました。
逆に夫に家事を注意されると、私自身も嫌な気持ちになりますし、「これ以上自分に家事はできない」と答えています。お互いさまと思い、家事のやり方に口出しはしないようにしています。
「家事を始めるタイミング」も夫婦で異なりました。筆者は朝起きて家事を始め、10時頃までには全てを終えたい性格。一方で夫は、平日働いているので休日の午前中はダラダラしていたいよう。夕方になってやっと動き始め、夜は筆者よりも家事をします。
この順番では筆者の家事負担が多くなってしまうので、あえて家事を残しておきます。できれば全て家事を終えたキレイな部屋でくつろぎたいのですが、そこはガマンのしどころ。自分一人で家事を全てやれば疲れてイライラしますし、夫の家事も習慣化されないので、あえて「やらない」選択をとっています。
また、「自分は気になるけれど、相手は気にならない家事」もあります。たとえば筆者はおもちゃが散乱したまま寝るのは嫌ですが、夫は平気。逆も然りで、夫は気になるけど私が気にならないこともあります。これは気になるほうがやったり、子どもができることは子どもに声かけをするようにしています。
家事の分担にはいくつもの葛藤や我慢、諦めが伴いますが、それが「人と一緒に暮らす」ということなのでしょう。ゴールを「夫婦、さらに家族で家事を分担すること」と定めると、こういった葛藤も乗り越えることができるでしょう。「家事をやらない」のも選択の一つとして考えてみてはどうでしょうか。
宮野 茉莉子