1日に何度も喫茶店に行く。多い日は5回も6回も行く。喫茶店代、正直バカにならない。でも喫茶店にはそれに代えられない価値があるのだ。

仕事の合間に空白の時間ができたら、カフェではなく喫茶店に向かおう。俺が愛するノスタルジー喫茶とは、昭和の香りがする喫茶店だ。その香りに包まれていると、懐かしくてちょっとせつない気持ちになる。

銀座8丁目にたたずむカフェーパウリスタ(撮影/青野正、以下同)

 

この喫茶店の話をすると、極めて個人的な思い出になってしまうことを許してほしい。

そもそも最初の珈琲の思い出は、日曜日の朝に母親がやかんのお湯をドリップして淹れるMJBの珈琲だった。MJBは緑色の缶に入っていて、開けたての香りは子供心にもうっとりするくらいいい匂いだった。子供はその珈琲に温めたミルクを入れて飲んだ。

珈琲とミルクを同時に注ぐのが正式のカフェオレだと父が聞きかじった知識を披瀝して、慎重にふたつを注いで飲んだ。
正直味の違いはわからなかった。でもちょっとした異文化体験だった。

父親が珈琲好きだったために、母親のやかんドリップは日曜の朝の儀式のようなものだった。MJBの珈琲はいわゆるアメリカンで、沸騰したてのお湯をドボドボ注ぐような乱暴な淹れ方が向いていたのだと、今になって思う。でもMJBが美味しいのは開けたての時だけで、しばらくすると酸味が強くなって、香りも立たなくなってしまうのだった。

カフェーパウリスタの珈琲との出会いは、父がここの豆を買ってきた時だったと思う。粉に挽いたものではなくて豆を買ってきて、手回しのミルで挽いて飲んだ。ドリップもやかんではなくて、口の細いドリップポットで慎重にお湯を落とした。

香りも苦味もMJBとは全く別格の珈琲だった。

それ以来我が家の珈琲はパウリスタの豆になった。

それがパウリスタオールドという創業以来のブレンドで、今も変わらず同じ味で売られているのが嬉しい。

創業108年、ずっと変わらないパウリスタオールド

 

あれから40年以上の時間が経った。

俺は50代も半ばのオヤジになり、こうして父親が連れてきてくれた喫茶店に座って同じ時間を味わっている。当時の父親の前には学生時代の俺が座っていて、珈琲を飲む息子をどんな思いで見ていたのだろう。

そんなことを考えながら飲むパウリスタオールドは苦く、香り高く、深い味がする。

パウリスタの珈琲を飲み始めたのはおそらく中学生の頃からで、この苦さが大人の世界の入口に立ったような、そんな気にさせたのだと思う。

1階は喫煙可。ノスタルジーに浸る筆者

 

新聞社に勤めていた俺の父親は50代の入口で体を壊した。そして53歳で死んだ。

そもそも体を壊したきっかけは仕事のトラブルによる過重なストレスで、おそらく出世もそれで断たれてしまった。50歳を過ぎて急に閑職になったことは、高校生になっていた俺も薄々感づいていた。

サラリーマン人生の終盤は秋の景色のようでちょっと悲しい。俺が50歳で会社勤めを辞めたのは、夏の景色をもっと長く見ていたかったからだ。

その決断に父親の晩年が影響を与えているのは、きっと間違いない。

カフェーパウリスタの珈琲を飲みながら俺は考える。父は長くなった1日をどうやって過ごしていたのだろうかと。酒の飲めない父はお気に入りの喫茶店にいたのではないのかな。

銀座8丁目の新橋に近い銀座通り沿い。大きめの椅子はゆったりくつろげる

 

カフェーパウリスタは明治43年に創業。日本でも最も古い喫茶店だ。

創業当初の写真が今も残っているが、100年を超える歴史がありながら老舗ぶらないところがいい。当たり前にふらっと入って、気がねなくスポーツ新聞でも読み、珈琲を飲む。

そんな日常使いがとても似合う喫茶店なのだ。

そういえば「銀ブラ」という言葉の語源は、銀座のパウリスタにブラジルコーヒーを飲みに行くことから来ている言葉なのだそうだ。銀座でブラジルで銀ブラ。なるほど。だがこれを異説と唱える声も高く……ま、そんなのどっちでもいい。

カフェーパウリスタのウェブサイトより

 

ここの珈琲を飲むだけで、ノスタルジーに浸れる人はたくさんいるだろう。

人は一杯の珈琲を味わうのではなく、思い出を味わうのだ。

 

喫茶店
カフェーパウリスタ
中央区銀座8-9 長崎センタービル1F
03-3572-6160

山本 由樹