「昔はすごく優秀だったのに」「あんな感じの人だったっけ」「ずっとこのままあのスタイルを押し通すつもりなのかな」と職場の同僚から残念に思われてしまう人がいます。もしかすると、その道筋にはいくつかの分岐点があったのかもしれません。どういった点が分かれ目になるのか、ビジネスパーソンの意見をもとにまとめてみました。
過去の成功体験に固執する
「優秀だ」と言われている人は、優秀だと評されるなりの理由があります。多くの人は、形はさまざまではあるものの、自他ともに認める何らかの成功体験を有しているのではないでしょうか。中には「必勝パターン」を持つ人もいるかもしれません。
ただ、時代の流れや事業環境の変化、あるいは人間関係の変化などによって、いつしかその必勝パターンが通用しなくなったり、多少の改良が必要になることもありえます。しかしここで、これまでの自分のやり方に固執し、新しいもの、他人のやり方を否定してしまう人がいるというのです。
こうしたことを何回か繰り返し、すっかり時代が変わってしまってもまだ変化を受け入れることができない人の場合「他人を否定する割に自分も何もできない」「お願いした通りにしてくれない」などとということから「使えない」という判断につながっていくことがあるようです。
会社の体制などの変化
たとえば役員の交代、事業の統廃合、会社の合併などにより、会社の体制が大きく変わることがあります。そうしたきっかけから仕事に対するやる気が失せてしまう人がいます。
本人が心が閉じてしまう過程にはさまざまな原因があるのですが「一人で拗ねている」「意地を張っている」といった批判を受けるとますます頑なになってしまいます。
逆に、周囲も事情が理解できるだけにあまり厳しく言えない、などという場合、その状況が当たり前になってしまうことも。どの案件に対しても投げやりで、対応も人任せ、ネガティブな発言しかしないということにもなりがちで、周囲のモチベーションにも影響を及ぼすこともあります。
ただし、本人のスキルを存分に生かせるフィールドができると意欲を取り戻し、再び活躍するケースも多くあるといいます。こうしたケースでは上司の采配も大きなポイントといえるかもしれません。
他人の意見(忠告)を聞かない/聞けない
会社員のAさんはかつて同じ職場で仲が良かった後輩Bさんのうわさを聞いて少し心配しているといいます。
「彼はまだ30代ですが、仕事はよくできますし、いわゆる『はっきりモノを言うキャラ』で、常にズバズバと言いたいことをいい、そうした点も含めて評価されてきたところがあるんです。でも最近、あらゆるところに『牙』をむきすぎじゃないか、と。ちょっとでも彼のやり方や言い方と違うことをしようものなら、途端にかみついたり、関係者全員に怒りのメールを送り付けてきたりするらしくて。『一緒に仕事がしにくい』という人も出てきました」
「俺が正しい」「全部相手が悪い」と言わんばかりのBさんの態度をAさんはたしなめてみたこともあるそうですが、あまり効果がなかったように感じているといいます。
「Bさん本人は『今さら性格を直すなんて無理』と端からあきらめている様子なんです。もう何を言っても無駄なのでしょうか」
これは一例にすぎませんが、たとえば何らかの行き過ぎがあると周囲が感じているとき「そろそろ我が身を振り返ったら?」「直したら?」と意を決して忠告してくれても、それをどうしても聞き入れられない、という人がいるようです。
やがて忠告してくれる人もいなくなり、誰も手に負えない状況ができあがってしまうことで、次第に腫れ物に触るような扱いになっていくことがあります。どちらかというと「使いづらいので使われなくなった」という状況といえるかもしれません。
実は指示がないと動けない/自分の意見がない
若い頃から目上の人にかわいがられ、部長にまで出世。しかし、その頃から急に「あれ? この人こんな感じだったっけ」「なんだかパッとしなくなったな」といわれてしまう人がいます。ベンチャー企業勤務のCさんが大手企業に在籍していたときの元上司、Dさんはまさにそういった人だったそうです。
Cさんはあるとき、同じチームの女性社員が「D部長に相談しても何も解決しない!」と嘆いているのを聞いて、ふと合点がいったといいます。
「確かにDさんは優秀でした。でも、もしかすると彼は『上司の指示を忠実にこなすこと』に秀でていたのかもしれません。本来の彼は判断を他人に任せるタイプで、頼みごとなども断れないタイプだったのかなあと思います。
だからいざ上の立場に立って、判断を仰げる相手がいなくなり、押し付けられたと感じるような依頼もなかなか自分だけでは断り切れない、という状況になって困ったのではないでしょうか。まあ、部下の私たちも困ったわけですが…」
まとめ
いかがでしたか? これらの話から見る限り、これまでとは勝手が違う何らかの変化が起きた際、それに対応できるかどうかがひとつの分岐点になっているケースが多いようです。もちろんそうした分岐点になる事象は、今見てきたケース以外にもさまざまなものがありえます。
そのときその変化をどう自分の中に落とし込んでいくか、耳が痛いことでも聞き入れる勇気を持てるかどうかなどでも違いが生じるのかもしれません。
LIMO編集部