今回は、値下げ競争が止まらなくなる理由について、久留米大学の塚崎教授が解説します。

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前回の記事では、赤字でも操業を続ける企業について論じながら、値下げ競争が生じる理由として、固定費と変動費の話をしましたが、今回は安売り競争が生じる理由を「ゲームの理論」で説明してみましょう。「囚人のジレンマ」と呼ばれる有名なケースです。

「相手が値下げしてもしなくても、自分は値下げする方が得」なら値下げ

日本にA、Bの2社しか牛丼チェーンがないとします。A社は考えます。「Aは値下げするか否かの選択肢がある。Bも同様である。したがって、4通りの組み合わせがある」「Bがどうするかわからないが、当社はどうしたら良いだろう」

「Bが値下げをしないとしよう。Aが値下げをしなければ、現状維持だから、AもBも少額の利益だ」「Bが値下げをしないとしよう。Aが値下げをすればBから客を奪えるから、大儲けができる。」「したがって、Bが値下げをしないとすれば、Aは値下げをすべきである。そうなれば、Bは大損するだろうが」。

「Bが値下げをするとしよう。Aが値下げをしなければ、Bに客を奪われるから、Aは大損だ。Bは大儲けだろうが」「Bが値下げをするとしよう。Aも値下げをすれば、両社とも少額の損だろう」「したがって、Bが値下げをするとすれば、Aは値下げをすべきである」

「Bが値下げをしなくても、Bが値下げをしても、Aは値下げをした方が得だ。悩むことはない。値下げをしよう」これがAの結論となります。

当然、Bも同じことを考えるので、結局AもBも値下げをして、双方とも「少額の損」という結末になるでしょう。残念ですが、自由競争だと、そうなるのです。もちろん、消費者は喜びますから、それが悪いことだと決めつけるわけにはいきませんが(笑)。

カルテルが組めれば、お互いに儲かるが・・・

カルテル(互いに値下げをしないとの約束)が組めれば、現状維持ができるので、双方ともに「少額の儲け」を稼ぐことができます。しかし、それは難しいでしょう。一つには、カルテルは独占禁止法に違反してしまうからですが、そうでなくてもカルテルは難しいのです。

カルテルの約束は、破った方が得です。「値下げしない」という約束をしておき、相手がそれを守って値下げをしない間に自分だけ値下げをすれば、大儲けができるからです。相手も同じことを考えるので、結局双方ともにカルテルの約束を破ることになります。こうして、カルテルは多くの場合、意味をなさないのです。

繰り返しゲームなら、別の結論も

経済活動は、1日限りではありません。永遠に続きます。そこで、カルテルの契約を結ぶ際に「今日、俺は約束は守る。お前が今日、約束を守れば、俺は明日も約束を守る。しかし、お前が今日、約束を破れば、俺も明日からは約束を破る」と宣言しておくのです。

相手は、今日、約束を守れば、少額の儲けが得られます。明日以降も約束を守れば、少額の利益が得られます。しかし、今日約束を破ると、今日は大儲けできますが、明日からは未来永劫「少額の損」が続くことになります。

それならば、相手は約束を守るかも知れません。カルテル禁止の法律さえなければ、何とかなりそうですね。法律がある場合は、なかなか難しいのですが、それでも打てる手はあるのです。

家電量販店で「最安値保証。当店より安い店をみつけたら、教えてください。その店の値段まで、当店も値引きしますから」といった貼り紙を見たことはありませんか? これは、客に対して最安値をアピールする目的もあるのですが、今一つの目的は、ライバルが視察に来ることを想定して、ライバルに向けたメッセージを発しているのです。

「わかっているだろうな。お前が値下げしたら、俺も値下げする。客にそう誓っているのだから、間違いない。お前の選択肢は、値下げをしないか、俺と同じだけ値下げをするか、その二つだ」というメッセージです。これでは、ライバル店は値下げをするインセンティブが失われますから、値下げをしないでしょう。貼り紙作戦は、大成功です。

しかし、家電量販店で見かける貼り紙も、牛丼店では見かけませんね。それは、家電量販店は商品の品質が同じなので比較しやすいからです。ライバルの牛丼店とは品質が異なるので、どちらが安いかを比較することが難しいですし、ライバルが値札を変えずに内容を改良することで実質的な値下げをしたとしても、気づくのは大変ですから。

囚人のジレンマは、米国の司法取引を前提とした経済学理論

囚人のジレンマは、共犯者を別々の取調室に入れ、「自白したら刑を軽くしてやる」と誘惑する米国の刑事と誘惑される犯人の物語です。司法取引制度のない日本では現実的ではないのですが、日本の経済学の教科書にも載っています。

日本の経済学がいかに米国の丸写しであるか、ということですね。日本人経済学者には、日本の実情に合った経済学を研究してもらいたいのですが(笑)。

なお、本稿は、拙著『経済暴論』の内容の一部をご紹介したものです。厳密性よりも理解しやすさを重視しているため、細部が事実と異なる可能性があります。ご了承ください。

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塚崎 公義