今年は例年になく“毒”をめぐるニュースが目に付く印象があります。化学セクターのアナリスト経験者である筆者も、さすがにこれまで毒物については意識したことがありませんでしたが、今回は国際的なテロや局地戦争などで使用されてきた毒物について改めてまとめてみました。

毒物が目立つ2017年の世界情勢

2月13日、マレーシアのクアラルンプール国際空港内で、北朝鮮の金正恩朝鮮労働党委員長の異母兄である金正男氏が猛毒のVXにより殺害されました。

また、4月に入りシリアのアサド政権が同国イドリブ県の反体制勢力などに対する空爆で化学兵器を使用、子供を含む80人を超える死亡者がでたと報じられました。これに対し、米国が60発近いトマホークミサイルを、4月7日(現地時間)にシリアの軍事施設に打ち込んだことは周知の通りです。

毒ガスは大量の被害者を出すことができ、しかも苦しみを伴う殺兵器です。毒ガスを吸い込むと、泡を吹く、失神、嘔吐などを繰り返して最終的に死に至ると言われ、その残忍性は他の兵器と比べものになりません。

そのため、1997年4月29日に発効した「化学兵器禁止条約」(CWC)で、開発・製造・貯蔵・使用が世界的に厳密に禁止されました。今回のシリアで使用された化学兵器は、神経ガスのサリンである可能性が指摘され、米国大統領はレッドラインを踏み越えたとしてミサイル攻撃のアクションを取ったとされています。

神経ガスの殺傷メカニズム

歴史ドラマでは勢力争いの中で毒物が登場します。筆者が一時はまった韓国歴史ドラマでも、肉親同士の殺し合いなどで毒物が使われるシーンが随所に出てきました。東洋ではトリカブト由来成分、西欧では無色透明・無臭・無味のヒ素、また青酸カリなどが使われてきたようです。

毒ガスとして最も原始的なものは塩素ガス(Cl)で、第1次世界大戦でドイツ軍が使用しました。一方、現在の化学兵器は神経ガスが主流のようです。ドイツは化学大国の土壌を持ち、神経ガスの一つで無色・無臭の液体/気体であるサリンはナチスドイツ時代に開発されました。

人間は、脳の指令を各部位に伝達するために神経細胞が身体中に張り巡らされていますが、サリンが体内に吸収されると主に抹消神経の接合部(シナプス)における信号伝達に影響を及ぼすことで死に至ります。

神経細胞内の情報伝達にはアセチルコリンなどの物質が役割を担っていますが、こうした神経伝達物質を分解する酵素の働きが阻害され、神経が興奮したままとなり中毒が起きるのです。

これと同じ作用機序※を持ったガスには、VX、ソマン、タブンがありますが、金正男氏殺害に使われたVXが、化学合成で製造された神経ガスでは最も猛毒とされています。また、自然界でも同じ作用機序を持つ毒があります。フグ毒のテトロドトキシン、トリカブト(植物)のアコニチンなどが神経毒を持っています。

※薬物が生体に何らかの効果を及ぼす仕組み

農薬の開発過程で転用された神経ガス

ところで、2013年にマルハニチロホールディングス傘下のアクリフーズが製造した冷凍食品から農薬用殺虫剤のマラチオンが検出され、自主回収された事件がありました。

現在の農薬用殺虫剤の主流は、このマラチオンのような有機リン系殺虫剤です。成分の骨格にリン(P)を持ち、虫の神経伝達物質分解酵素の働きを阻害する作用を持っています。

こうした農薬用殺虫剤の開発過程でできたのが、神経ガス兵器というありがたくない副産物だと言えるでしょう。そのため、化学技術の進んでいたドイツや英国で主に開発されてきました。ちなみに、猛毒のVXガスは1950年代に英国、米国で化学兵器として開発されたものです。

なお、有機リン系殺虫剤は既に技術的には完成されたもので、特にハイテクとは言えません。ですからシリア、北朝鮮などでも製造は可能なのでしょう。

いずれにしても、2017年は毒物使用という嫌な出来事が続き、世界の政治情勢はますます混迷の度を深めそうです。しかし、これ以上毒を毒で制する世の中にはなってほしくありません。あくまで理性という武器で解決してもらいたいものです。

石原 耕一