理不尽なブラック校則ができた理由
家庭のように規模の小さく身近な集団にも「家庭内ルール」があるように、大小問わず様々な組織にルールが存在しています。学校生活での規律である「校則」ですが、ここまで大きなものになったのでしょうか。
現在の学校制度は戦後に整備されていきました。「校則」の転機となったのは旧文部省が1965年に発行した「生徒指導の手引き」の存在を無視できません。
当時問題となっていた若者の非行行動を改善すべく、学校での生徒指導の在り方が浸透していきます。
まえがきには以下の文章が記載されています。
「非行対策は、本来生徒指導の消極的な面であるが、学校における考え方や扱い方に時には誤りも見られるし、当面の大きな問題であるので、本書においては、この問題についても重点的に取り上げた」
その後、1980年代に校内暴力が全国的な問題となり、1981年に改訂版が発行され生徒指導で「トラブルの芽を事前に摘む」という考えが加速していきました。
厳しい校則を設けて生徒を管理するというシステムが、構築されていったことになります。
その後、2010年に文部科学省が「生徒指導提要」を刊行するまでの間、1981年版が教育の現場で「生徒指導のガイドライン」の扱いになっていたことになるのです。