セクハラやパワハラなどをはじめとする「ハラスメント」とは、嫌がらせやいじめといったことを意味する言葉です。職場でのパワハラや家庭内でのモラハラ、大学でのアカハラなど、その種類やかたちはさまざまですが、共通しているのは「相手の尊厳を損なって不快にさせる」ということではないでしょうか。

そうしたハラスメントをなくしていこうと社会が進んでいくうちに、また新たなハラスメントが名づけられ、知らないうちに消えていったりします。

たとえば、会社の人間関係の中でみられるという「ロジハラ」や、家庭でよくあるとされる「フキハラ」といった言葉をご存じですか? この記事では、こうした新しいハラスメントについての賛否両論の声を紹介します。

「ロジハラ」とは?

新しいハラスメントの代表格に挙げられるのは「ロジハラ」です。

「ロジハラ」とは、ロジカルハラスメントの略で、正論を相手にぶつけて論破するということによって生じるハラスメントのことです。ネット上では、「ロジハラ」に対してこういった意見がみられます。

「ロジハラって言葉は好きじゃないけど確かに論理的思考や正論を全員にぶつけていいとは思わない」
「ロジハラって言葉があるのを知って、今の上司のどういうところが嫌なのかわかった」
「コロナ対策とか重要な議論そっちのけで重箱の隅つつく議員とかがまさにこれ」

一方で、この言葉自体を疑問視する声も上がっています。

「ロジハラって、論理がハラスメントになるのであればそれがハラスメントなんだが」
「論理的に話ができないやつが無理やり自己肯定するためだけにつくった言葉」
「たくさんの価値観が混在する会社で論理は一番大切だと思うしそれでハラスメントと言われても困る」

実際に感情の整理がつけられず、もらった助言に対して「それが正しいのはわかっているけれど……」と感じた経験があるような人が多い一方で、そうした状況を「ハラスメント」として否定的に扱うことに納得できない人も多いようです。

また、相手の気持ちを考えずに正論で詰問をするということは、そもそもパワハラなのではないかという指摘も多くみられます。

「フキハラ」とは?

またここしばらくで大きな話題となった「最新」のハラスメントは「フキハラ」ではないでしょうか。「不機嫌に振る舞ってみせることで、周囲の人間をコントロールして、不快にさせる」というハラスメントだそうです。

家庭内で無自覚な夫がしていた「フキハラ」を紹介したハフポストの記事「外では優しいのに家では不機嫌な夫。『フキハラ』には声をあげて、夫婦で話し合おう。」では、次のような例を挙げています。

「彼の「フキハラ」はこういう具合でした。

朝起きると開口一番「疲れた、眠れなかった」と体調が悪いアピールを始める。私が高いところにある届かない物をとってほしいとお願いすると「今やらなきゃだめ?」と嫌な顔をする。

お願いしていたごみ捨てを忘れてしまい、私が怒ると「仕方ないじゃん、忘れていたんだから」と開き直る。」

11月22日の「いい夫婦の日」に公開されたこの記事は、ツイッターで数多くのRT(リツイート)と「いいね!」がつき、話題を呼んでいました。ネット上では、次のような意見がみられます。

「この不機嫌に振る舞う人は実際家庭にも職場にもいて確かに不快だけれど、フキハラという言葉は邪魔な気がする。普通にDVとかって言ったほうが適切」
「フキハラについて、何でもハラスメントにされすぎという声があるけど十分ハラスメントではあると思う。ほぼ家庭内暴力」
「フキハラって初めて聞いたけど、子供に対しての自分の態度を言われているようでぞっとした」

SNS上には「フキハラ」について、実際に自分にも身に覚えがあるという人も多く、共感の声が見られましたが、一方で、「フキハラ」という言葉に嫌悪感があるという人もかなりいるようです。また、「フキハラ」に関しても、家庭内でのこのような振る舞いは、そもそもモラハラに当たるのだという意見もありました。

その「○○ハラスメント」って言葉、必要?

以上のように、新たに生まれた「〇〇ハラ」が話題になるたびに、ハラスメントに一つひとつ名前をつける必要があるのかと議論になります。SNSではこのような投稿が見られます。

「〇〇ハラって言いたいだけでしょ?」
「こうやって新しい言葉を作ってレッテルばりするのもハラスメントだし、ハラスメントハラスメントと言われるようになりそう」
「〇〇ハラスメントって新しく作れば炎上してPVが伸びることに味をしめたメディアたち」
「ハラスメントに種類が増えすぎてもう会話できん」
「正直どのハラスメントも家庭内であればモラハラだし、仕事であればパワハラだわ」

このほかにも、「モラハラやパワハラの具体的な例を細分化して、新たなハラスメントとして生み出す。それによって、逆に根本的で重要な問題が軽視されてしまう」「結果として、ハラスメント問題が解決に向かって進まないのではないか」という主旨の指摘も多く上がっています。

一方で、「〇〇ハラスメントという言葉があるということを知って初めて『自分の行為がハラスメントに当たっている』と気がつくのだ」という指摘もあります。細分化して、具体的なハラスメントを例示することによって、自分の行動を振り返る機会になることもあるというのです。

さまざまなハラスメント問題の解決に向けて、その中身をより細分化していくことは、解決のために必要でしょうか? あるいは本質を見失わせるだけなのでしょうか? 皆さんはどう思いますか。

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