夫が子供に渡す小遣いを減らすと、夫の赤字が減り、夫の妻からの借金も減りますが、子供の貯金も減ります。夫が死んだ時に子供が夫の借金を引き継ぐ負担は楽になりますが、子供の貯金も減っているため、「夫の分の借金を払い終わったら子供には何も残らない」という点は小遣いを減らす前と同じなのです。
では、子供に渡す小遣いを減らす代わりに妻に渡す生活費を減らすとします。妻がその分を負担すると、妻の収入20万円が「5万円が生活費、5万円が夫への貸し出し、10万円が銀行への預金」に変化するでしょう。
その結果、夫も妻も他界した後の子の財産は、自分の貯金10万円、夫の借金の負担5万円、妻の夫への貸し出し5万円、妻の銀行への預金10万円となり、差し引き20万円となります。
これは、夫が生活費を減らさなかった場合の子の財産額と同額です。夫と妻の間の金のやりとりが変化しただけなのですから、当然ですね。
つまり、「財政赤字は後の世代に借金を返させる世代間不公平だ」というのは、遺産のことを考えない視野の狭い議論であって、遺産のことも考えれば「財政赤字を減らすと、後の世代が楽になる」ということではないのです。
後の世代が楽になるためには、本当に生活費を削って家族全員が不味い食事で我慢する必要がありますが、家計簿(家族全員の小遣い帳の合計)が黒字なのに不味い食事で我慢する必要があるのか否かは、難しい問題ですね。
財政と夫の小遣いも少しは異なるが・・・
ちなみに、一般会計を夫の小遣い帳に例えることの問題点も二つあります。一つは、上記のように「一般会計が増税すると景気が悪化して税収が減るので、当初の増税分ほどは一般会計が改善せず、国全体として貧しくなる」ということが織り込めない、ということです。
今ひとつは、「子供が一人で夫の借金と妻の資産をすべて相続するから相殺できる」という点が実際の財政赤字とは異なる点です。しかし、これは本質的な問題ではありません。「子供」を「次の世代」と考えれば、辻褄は合うからです。
増税すると、次世代が返済すべき政府債務は減りますが、同時に現在世代が貧しくなり、次世代が相続する財産も減るのです。財政赤字を増税で減らしたとしても、次世代のネット金融資産(資産マイナス負債)は増えないのです。つまり、財政赤字による世代間の不公平など存在しないのです。
あるのは遺産を相続できる子とできない子の間の「世代内不公平」だけだ、というわけですね。筆者が相続税の増税を主張している理由の一つは、そうした所にあるわけです。
本稿は、以上です。なお、本稿は筆者の個人的な見解であり、筆者の属する組織その他の見解ではありません。また、厳密さより理解の容易さを優先しているため、細部が事実と異なる場合があります。ご了承ください。
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塚崎 公義