筆者は大学生の頃、女の子だけで演劇活動を行っていました。自分の関わる舞台やイベントには必ず来てくれる40代~50代のお客さんが数人いて、公演が終わると、脚本や演出などのいわゆる“中身”を褒めてくれることが多かったです。筆者は当時、年齢や性別に関係のない能力を褒められているのだと思っていました。

しかし、今になってわかります。あの方たちは、20歳前後の若い女の子がキャッキャと何かやっている光景を娯楽として消費していただけで、中身云々は関係ないし、対象が別に筆者でなくても良かったのだと。センスだとかカルチャーだとかの渦の中で踊っていただけで、客観的に見たら“地下アイドルを追いかけるファンのおじさん”と何も変わらない構図だったからです。

今、大学の後輩の中にも演劇や映画、音楽などを続けている女の子がいます。筆者はお節介だとはわかっていながら、先輩ズラをして「チヤホヤされて勘違いした時が怖いから気をつけてね」と言ってしまいます。

筆者は公演を観に来てくれていたお客さんの一人から、「同じ最寄り駅に引っ越したから今度飲みに行こう」と言われたことがありました。若い女の子の才能や知識を評価しているかのように近づいて、実は別の狙いがある場合が少なくないことを経験から知っているからです。

「おばさんが若い子に嫉妬している」は誰が作り出しているのか

よく、女性同士の対立やいざこざが起こると「女の敵は女」という表現が出てきます。しかし、筆者自身の経験上は「おばさんが若い子に嫉妬している」という構図は、男性との何かしらの関係性の中で生まれていることがほとんどのような気がしています。

そして30歳になって感じるのは、自身が20歳の女の子に抱くのは嫉妬という感情ではなく、ただただ心配な気持ちです。若い子たちが自分と同じような嫌な思いをしないで済むなら、何かしら助言してあげたいという老婆心。もちろん、嫌なことも勘違いしたこともあの時に経験したからこそ今の自分を作ってくれたのですが、振り返ると別に経験しなくても良かったことも少なくありません。

そう思うと、いま自分よりも年上の女性からもらう助言やアドバイスは、適当に聞き流すだけでなくしっかりと受け止めることも必要なのかもしれないと感じてしまいます。

秋山 悠紀