先述の通り、日常的に育児をしていたので子どもにも慣れている筆者の父。顔を合わすたびに、筆者の子どもをそれはそれは上手に抱っこをし、泣いてもあやしてくれ、コミュニケーションを取って可愛がってくれました。
一方、赤ちゃんにまるで慣れていない夫は、生後半年を過ぎても自分の子どもを上手く抱っこできず、泣き止ませることができずにいました。オムツ替えや離乳食を食べさせることも、「よくわからない」と言い、あまり積極的にはしてくれない様子。そんな夫を見て、筆者は「うちのお父さんとは大違いだな」とぼんやりと思ってしまったのです。
口に出してはいないものの、自分が夫に思われて嫌だったことを無意識のうちに夫に思ってしまったことで自分自身に失望した筆者。そして自分がやってしまったことによって、自分の親をパートナーに重ねることの不毛さを改めて実感しました。同時にそれは、パートナーが生まれ育った環境を否定することにも繋がるのだと感じ、相手に対するリスペクトがない姿勢だと深く反省しました。
育った環境が違うからこそ面白いと思えるように
今では、お互いの育った環境が違うことをプラスに捉えられるようになった筆者夫婦。2つの家庭のスタイルを知っているからこそ、時には意見をぶつけ合うこともありますが、自分たちの子育てや夫婦関係をより良くするための方向性を柔軟に探れるようになった気がします。そして育った環境の違いを客観的に捉え、その違いを面白がれるようにもなりました。
仕事をしている妻に対して専業主婦だった自分の母親のような役割を無意識のうちに求めてしまう夫は、珍しくないのかもしれません。また、同じ専業主婦だとしても、「うちの母親はもっと完璧にやっていた」と比較されるという声もちらほら聞きます。
逆に、「私の父親はこんなに稼いでいた」「育児もこんなにやっていた」と自身の父親を夫と比較してしまうことも少なくないでしょう。
どんなに価値観や育った環境、両親の仕事&家事スタイルが近いとしても、些細な違いが出てくるのは当然。違うから無理やり同じようにすることを求めるのではなく、その違いをどう受け止め、すり合わせて個々の状況における着地点とするのか。価値観や生き方が多様化している現代において、家庭に限らずすべての事象でそうした姿勢は求められているのではないかと感じます。
秋山 悠紀