「しまむらのことをレまむらって読んでた(笑)」


文字に不慣れな子供にはカタカナとひらがなの区別は難しい。「し」ならもっとまるく曲げてよ、と思っても仕方がありません。外国から来た人も同じ勘違いをしているかも。

「イエローハットのこのマークを顔だと思ってた。」


やあ、ニヒルな笑みのヒーロー!……と思っていたのにただの帽子だなんて、ひどい仕打ちにも思えます。You are my only hero.

「魚だと思ってたらヒゲのコックさんだった。」


魚に見えない人はマークを左に90度回転させてみてください。するとあら不思議、こいのぼりのようなおさかなが現れます。ドーナツはおさかながつくっていたんだね……!

まとめ

勘違いとは、余白の広さであり可能性です。同じものを見聞きして、子供は大人とは異なるものを認識するのです。

知識・認識を得て「正解」を知るということは、ひとつのものにたったひとつの認識を規定し、余白を消し去ってしまうということでもあります。それは思いのほか、世界を狭くしてしまっているかもしれません。

子供の頃の勘違いを、間違いとして忘れ去るのではなく、余白の記憶として持ち続けてみませんか。そうすれば世界が狭くなるのを防げる……かもしれません。

何を申し上げたいかと言いますと、「勘違いは悪いものではない」ということです。過去の勘違いを恥じることなく、未来の勘違いを怖れることなく生きていきましょう。

衛澤 創