この記事の読みどころ
- 資本主義社会では、お金があれば何でも買うことができます。これは常識ですよね。
- 一方で、大切なものはお金では買えない、というのもある意味、常識です。
- 果たして「幸せ」というもっとも大切なものは、お金で買えるのでしょうか。
もうかなり前になりますが、堀江(モン)さんが「金で買えないものはない」と発言して物議を醸しました。映画「ハゲタカ」では、「不幸は2つしかない。金のない不幸と金のある不幸だ」とも言っています。さて、果たして幸せはお金で買えるのでしょうか。
お金とは一体、何か
そもそも、お金とは何でしょう。お金(貨幣)とは一般的に、①決済手段、②価値尺度、③価値貯蔵手段という三つの機能を持つもの、と定義されています。つまり、お金は①それでモノやサービスが買えて、②値段によって価値を計れて、③使うタイミングは選べる(貯められる)、という性質を持ちます。
逆に言うと、この機能があればお金は紙幣である必要はなく、何でも良いんです。いやむしろ、金とか銀の方が紙幣よりもお金に近いと言えます。ちょっと前まで、金本位制といって、貨幣は金と交換できたからこそ価値があったんですよね。今の管理通貨制の方が、よほど不思議な気がします。
金は希少ですし、きれいですし、加工すると色々と使えるので価値があります。錆びたり腐ったりもしないので保存も利きます。一方紙幣は、錆びたり腐ったりこそしませんが、そのもの自体には何の価値もありません。ティッシュペーパーの方が使用価値はあります。なのに1万円で1万円分モノが買えるのが、私には不思議でなりません。
なぜ紙幣でモノやサービスが買えるのかというと、みんな政府を信じているからなんですね。昔は政府の金庫にある金を信じていましたが、今はその裏付けがありません。国民がみんな政府そのものを信じているから、紙幣はお金でいられるんです。もはや絶対に返せないくらい負債を抱えた政府ですが・・・。
まあそんなわけで、何が言いたいかというと、お金となるものは金とか貝殻とかバーチャルな電子マネーとか何でも良いし、従って紙幣そのものは何でもないわけですよ。政府の信頼を介して、お互いに信頼をやり取りしているだけです。1万円札に価値があるというのは一つの「決めごと」に過ぎません。
お金で幸せは買える
ですから、お金で買えないものがあるのかないのかという議論は、ちょっとずれているというか、意味のない議論なんですね。だって、お金自体は何でもなくて、①決済手段、②価値尺度、③価値貯蔵手段でしかないわけですから。「価値尺度で計れないものはあるか」ということと同義です。
そうすると、愛であろうが良心であろうが、どんなに価値の高いものでも、理論的にはそれに見合うお金があれば買えるということになるわけです。価値が高すぎて買えない、というのはおかしいですよね。価値が無限大なのかというと、そんなこともないでしょう。
とこう言うと、「じゃあ、自分の命も売れるんだな」なんて小学生みたいな突っ込みが入りそうですが、理論的には、そうです。私の場合は1億円や2億円ではダメですが、どこかで折り合う金額があるはずです。あくまで理論的には、ですよ。本当に売るかどうかは別問題です(まあ、買いたい人もいないでしょうけど)。
ということで、結論として「理論的には」お金で幸せは買えます。
お金で幸せは買えないと思いたい理由
・・・今回のタイトルを見て、直感的に「お金で幸せは買えない」って言って欲しくなったでしょう? 100人中99人、そうだと思います。それって、ある種の洗脳だと思いませんか。「大切なものはお金で買えない」みんな、そう思いたいんですよ。もっと言うと、「お金を持つと不幸になる」と思いたいんです。
なぜなら、あなたは今、十分なお金を持っていないからです。「お金を持つと不幸になる」と思い込むことで、「自分にはお金はないけど幸せだ」と思いたい。日本の一般的な家庭では、親からそういう教育を受けます。一般的な家庭では、どこかのタイミングでお金持ちになることを諦める必要があるからです。
貧困は世襲します。こうやって、負のマインドが引き継がれるからです。人を羨んではいけない、足るを知れ、夢なんて見るな、人には分相応がある、お前には無理だ・・・。そうやって、多くの人が誰よりも自分のことを大切に思ってくれている親から、洗脳されているんです。大切な我が子が、お金持ちになれなくても傷つかないように、という親心です。
お金は汚いものでもなければ、悪でもありません。持っても不幸にはなりません。単なる①決済手段、②価値尺度、③価値貯蔵手段、でしかないですからね。イメージとしては、点数みたいなものです。他の人に価値を提供すれば手元に点数が貯まり、価値を譲り受ければ減っていく。それだけです。
夢が現実となる恐怖
意外なことなのですが、夢を実現するためには、まず「夢が現実となってしまう恐怖」と戦う必要があるんです。人は、お金持ちになるのが怖い、幸せになるのが怖い、夢が実現してしまうのが怖いんです。「幸せすぎて怖いわ」という台詞は別に嫌味ではなくて、幸せの代わりに何かを失うのではないかと本当に感じる恐怖なのです。
その恐怖を克服しておかないと、お金持ちになった瞬間に異常な浪費をしてしまったり、幸せを自分から手放してしまったりするんです。恐ろしくもあり、不思議なことですよね。でも、本当なんですよ。お金の力で「幸せ」になった人の心が安らかではなくなってしまうことは、実際に起こります。
恐怖を克服するにはどうするか。いくつか方法はあります。例えば夢が実現することをいつも、リアルに想像して準備をしておくことです。潜在意識に刷り込んで、既に夢が現実となった状態を感じることです。これである程度、恐怖は克服できます。また、お金持ちが多額の寄付をするのも、心の平和を保つための一つの方法なんですね。
そうやって心の平和を保つことができるのであれば、お金はないよりはあった方が良いに決まっていますし、愛や健康、自由といった幸せと直結する貴重な「資源」も、実はかなりの部分、お金で買うことができると私は思います。「買えないものはない」とまでは言いませんが。
それでは、また。フラスコ代表、安田でした。
安田 修