また、正論は決してママたちの有益なアドバイスになることはありません。なぜなら、世の中のほとんどのお母さんは、その正論の内容はよく理解し、「そうしなければならない、こうあるべきだ」と思っているからです。

大人の都合で「早くしなさい!」と言ってはいけない、それは百も承知。でも早く帰って夕ご飯の準備をしなきゃ、間に合わない、あぁ、洗濯ものも干しっぱなしだ…と心の中で「あれもしなきゃ、これもしなきゃ」と思っているのに、子どもが道草をしてなかなか歩いてくれない。

早くしないとバスに乗り遅れる、でも子どもがなかなか玄関口で靴を履いてくれない…。そんなときには思わず「早くしなさい!」と声を荒げてしまうこともある。子どもの寝顔を見ながら「あのとき、あんな風に急かさなくてもよかったな」と反省。

そこに追い打ちをかける正論。「早くしろ、なんて親の都合。そうならないようにもっと時間に余裕を持つべきでしょう」そんなことはわかっているんです。わかっているから反省して、自己嫌悪に陥っているんです。

誰だって自分の理想とする母親像があって、その現実のギャップに悩み苦しむもの。そこに正論を振りかざして、ますます母親を追い詰めて、逃げ場をなくして…いったい誰が得をするのでしょうか?

「もっと大変な人もいる」「昔の人はもっと大変だった」「仕事をしている人だって大変」それもごもっとも。しかし、今辛いな、しんどいな、と感じているのは他でもない自分自身。ほんの少し弱音を吐くことも許されないのでしょうか。

苦しみ、悩んでいるママに「正論」という石を投げることで溜飲を下げて、いったい誰の得になるのでしょう。

■大丈夫、あなたは素敵なお母さんです

毎日試行錯誤して、真剣に子どもと向き合っているママを追い詰める正論。周囲の人の正論を真正面から受け止めてしまうと、ますます自己嫌悪に陥ってしまい、「自分は母親失格なんだ」と自分で自分を責めてしまいかねません。

悩むのも、落ち込むのも、上手くいかずにイライラするのも子どもを愛しているからこそ。そのことをきちんとわかってくれる人は世の中にたくさんいます。いたずらに正論に振り回されることなく、自分と子どもを信じていればそれでOKだと、筆者は思うのです。

大中 千景