「一人で死ね」論争の過熱、”悪者探し”が連鎖する空気が辛い

テレビで著名人が不適切な発言をした場合、その影響力の大きさを考慮して待ったをかけることは大切なことではあります。また、登戸の事件については「引きこもり=悪」と一方的に決めつけるかのようなメディアの報じ方についても、多くの人が「マスゴミ!」というネットスラングを用いて異を唱えています。

「それは間違っているのではないか」「こうすべきだろう」という意見が飛び交うのは、社会全体が解決策を模索し、前を進もうとしている証拠だと言えるでしょう。

しかし一方で、自殺したことで犯人は生き続けて罪を償うことができず、今後同じような事件が起きないように解明したい動機を知るすべも閉ざされてしまいました。そのためか、被害者や遺族だけでなく、多くの人が怒りや悔しさや悲しさを悶々と抱え続ける結果に。

次から次へと批判の矛先が変化していく今の流れは、事件に対するやりきれない思いをぶつける標的を、社会全体で探しているようにも思えます。そして、この犯人以外の“悪者探し”が延々と続く空気に、精神的に消耗してしまうのは筆者だけではないでしょう。

具体的な解決策が見いだせない閉塞感

登戸の事件に関連したさまざまな問題は、突き詰めて考えれば考えるほど「殺傷事件を起こすような人を生み出さない社会にしていかなければいけない」「この世界には死ぬべき人などいない」といった漠然とした理想論やきれいごとしか言えなくなる無力さを感じてしまうのも事実です。

あまりに辛く悲しい事件のために皆が考えなくてはいけないことが多いものの、答えや解決策が出ないことも多すぎる。こうした社会全体でもがき苦しんでいる閉塞感もまた、批判できる“悪者”を見つけて何かを納得したい大衆心理を引き起こす要因なのかもしれません。

批判の矛先が次から次へと変わり、攻撃的な声が飛び交う時こそ、それは悲劇を生まないためにできることや社会をよくしていくための前向きな議論なのか、やり切れない怒りをぶつけるための“悪者探し”なのかを、立ち止まって考えるタイミングを持つことも大切なのではないかと思います。

秋山 悠紀

参考記事

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秋山 悠紀

早稲田大学文化構想学部出身。女子高でサッカー部、フリーター、演劇活動、編集プロダクションなどを経て独立。
子育てへの不安から1年半の保育園勤務の後、第一子を出産。
現在、長男を育てながら女性の生き方、子育て、ジェンダー、社会、旅、ドラマ、映画について執筆中。