小樽運河(写真提供:筆者、以下同)

東南アジアからの観光客の割合が多い小樽

2015年12月上旬、札幌に出張した際に小樽まで足をのばしてみました。かの地で感じた訪日観光客の様子をお伝えしたいと思います。

小樽市の統計資料によると、2015年度上期の半年間の道外客数(北海道以外の国内および海外からの観光客数)は約147万人となり、前年同期比で+21%となりました。また、宿泊客の約38.5万人(同+4%)のうち、外国人宿泊客数は約5.2万人(同+33%)で約13%を占めています。

外国人宿泊客数を国別でみると、中国(外国人宿泊客数の約28%)、香港(同約16%)、台湾(同約15%)、タイ(同約12%)、韓国(同約12%)、シンガポール(同約8%)となっています。日本全体での状況と比較すると、タイやシンガポールなどの東南アジアが上位にきているのが特徴と言えそうです。

市民の声で守られた歴史を持つ小樽の観光資源

小樽は明治時代以降、北海道の玄関口の港町として栄えました。当時は物流の中心であり、金融・経済の中心でした。しかし、戦後になって物流や金融・経済の拠点としての優位性を次第に失っていきました。

小樽の観光地と言えば、たいていの旅行パンフレットに掲載される運河と倉庫街の風景が有名です。今となってはあまりに有名な観光スポットとなったこの運河ですが、1960年代には消失の危機がありました。市内の交通渋滞緩和を目的に、埋め立てて道路にしようという都市計画が持ち上がったためです。

最終的に、市民の運河保存の運動により1980年代前半に小樽運河の保存が決まりました。同じ流れで運河だけでなく景観保存への関心も高まり、31棟の建物が歴史的建築物として市の指定を受けました。

もし、保存運動が起きず小樽運河が埋め立てられていたら、小樽は今のような観光の街にはなっていなかったはずです。街の歴史を残す意味について考えさせられるエピソードです。

金融・経済の中心地の名残を残す「北のウォール街」

街並みの保存運動の結果、小樽運河だけでなく、「北のウォール街」とも呼ばれる、戦前、一大金融街として栄えた街並みも保存されています。

最盛期には、日本銀行小樽支店(2002年に札幌支店に統合して閉鎖となり現在は金融資料館)をはじめ、当時の有力金融機関が店舗を構えていたそうです。今では、これらの建築物の多くはレストランや商業施設、ホテルなどに用途を変えていますが、金融の中心地として栄えた往年の雰囲気を現在に伝えています。

日銀旧小樽支店

なお、旧北海道拓殖銀行小樽支店は現在はホテルになっていて、元・金庫室にも泊まれるそうです。

旧拓銀小樽支店

ところで、すぐそばにある運河の方は、訪日観光客を含め多くの人でごった返していますが、「北のウォール街」の方では観光客はあまり見かけません。運河から少し山の方に上がる坂道で歩くのが大変、という理由も考えられますが、建築物だけではなかなか観光客の興味は引かないのかもしれません。

寿司屋通りで入ったお店はさながら東南アジアのお寿司屋さん

この「北のウォール街」の1ブロック隣に、「寿司屋通り」と呼ばれ、文字通り、お寿司屋さんが多く集まるエリアがあります。「北のウォール街」と並行に走る坂道の通りで、何百人も入るような大きな店舗はなく、比較的こじんまりしたお寿司屋さんが軒を並べています。

そのうちの一軒で夕食をとろうということになり、お店のテーブルについた後、店内を見渡してみました。この日は日曜日の夜で店内はほぼ満席でしたが、お客さんのほとんどは訪日観光客でした。店員は日本人ですが、店内からはアジア方面の言葉ばかり聞こえて、さながら東南アジア方面の都市のお寿司屋さんのようでした。

そのお店がさほど大きくないという事情もありますが、よく観察してみると、10人を超えるような大人数のグループはおらず、4人程度の家族またはグループのお客さんばかりでした。ツアー客による爆買いが何かと注目されますが、このような少人数グループによる「自力旅行」(自分で行きたいところを調べて巡る旅行)が思った以上に増えている印象を受けました。

目抜き通りの店員さんは道案内に一苦労

小樽運河から少し南に行くと、堺町通りがあります。観光客が集まる一番の目抜き通りです。

海産物など小樽の名産品を売っているお店が軒を並べていますが、そちらにも訪日観光客をよく見かけます。買い物以外で訪日観光客と店員さんとのやり取りがあるのは、「ここに行きたいのだけど・・・」という道案内です。あちこちのお店で見かけた光景です。これも、ツアー客ではなく、「自力旅行」が増えているという印象を持つ理由の1つです。

なお、訪日観光客が店員さんに見せる地図は外国語の地図(のよう)なので、「そもそもどこに行きたいのか」と店員さんが理解するのに一苦労、目的地が分かった後は「どう伝えるとよいか」でさらに一苦労、といった様子でした。

堺町通り

訪日観光客を意識した製品デザイン

小樽はガラス製品の産地でもあります。堺町通りでいくつも店舗を構える北一硝子もまた、訪日観光客でごった返しでした。こちらは大きい店舗のため、ツアー客も多く訪れているようです。

北一硝子は、手に取って選んでほしいという考えのもと、あえてネット通販を行っていません。そのため、実店舗でしか買えないという希少性を打ち出すことに成功していると考えられます。

なお、店舗で販売されていたガラス製の食器は、金を施したものや、中国の縁起物をモチーフとしたものが多かったように思います。製品デザインの段階から、訪日観光客を意識したものづくりをしているのでしょうか。

ルタオ(LeTAO)のカフェにて

明治時代以降の港町として発展してきた小樽ですから、洋風でハイカラな雰囲気も似合います。堺町通りの端のメルヘン交差点に本店を構える洋菓子のルタオ(LeTAO)は、その代表格と言えます。

ルタオのストーリーは、1996年に、寿スピリッツ(2222)が、廃業寸前だった千歳市のチョコレート工場を買収したことから始まります。1998年にメルヘン交差点に店舗を構えて以来、チョコレートをはじめとした洋菓子を取りそろえ、ドゥーブル・フロマージュ(チーズケーキ)の大ヒットにより、全国的な知名度を得たスイーツブランドです。

現在は堺町通りに5店舗、小樽駅前に1店舗、小樽以外の道内に3店舗を構えるほか、通信販売も取り扱っています。

ルタオ本店

この堺町通りにある店舗には、カフェが併設されているものもあります。そこで、本店の2階のカフェにも立ち寄ってみました。こちらにも訪日観光客が何組も来ていました。訪日観光客にも人気のようです。ただ、こちらも、席の関係で、少人数グループの観光客に限られていました。

ルタオのドゥーブル・フロマージュ

なお、ルタオの運営会社は寿スピリッツの子会社であるケイシイシイであり、寿スピリッツの営業利益の38%(16年3月期会社計画ベース)を稼ぎ出す収益の柱となっています。

小樽でのインバウンド消費の様子を知る上で、寿スピリッツの業績動向は一つの参考指標です。なお、寿スピリッツの会社資料を見る限り、ルタオへの依存度を相対的に下げるべく、ルタオ以外のブランドの育成に努めているように見受けられます。

小樽にて感じたこと

訪日観光客のこととなると、観光客数の人数や消費金額といった量的なことに目を奪われがちです。それも大事なことですが、訪日観光客の観光スタイルに質的な変化が生じてきている可能性についても目を向ける時期に来ているかもしれません。

この質的変化にうまく対応できる街や企業が、「訪日リピーター」という需要を取り込むことができるものと考えられます。

参考資料:

小樽運河保存から街並み保存へ」(国土交通省)

ルタオHP

寿スピリッツ 16/3期上期決算説明会資料

【2016年1月21日 藤野 敬太】

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藤野 敬太