健診や両親学級に男性が熱心に付き添うのには、大前提として「出産の立ち会い」があるからといえます。これは父親になるための「洗礼」のようなものです。

「陣痛が始まった」と連絡が入ると、仕事を中断して病院にかけつけます。遠征試合に出かけているプロスポーツ選手が子どもの出産に間に合うように海外から急いで帰国したなどという話もよく聞かれます。

男性は分娩室でパートナーの出産を終始サポートします。筆者の夫もうろたえることもなく、積極的に「参加」。筆者が望むお産にできるだけ近づけるよう、体をさすり、好きな音楽をかけ、食べたいというものを用意し、よくやっているよ」と励まし、いつも手の届くところにいてくれました。

出産に立ち会う父親にとり最も大切な「儀式」が、生まれた赤ちゃんのへその緒を切ることです。チョキンと切った瞬間、父親としての喜び、誇り、責任がむくむくとわいてくるそうです。

子どもが生まれてからも、カップルが二人三脚であることに変わりはありません。共に子育てに勤しみ、子どもとの関係を築きます。子どもの面倒を見るにあたって、片方ができないことはもう一方がやるというふうにお互いをカバーし、協力し合います。これは子どもが巣立つまで続きます。

家庭最優先の国では、主夫も普通 

子どもが小さいうちは手がかかるので、共働きをいったん中止し、片親のみが働き手となるケースも少なくありません。母親が家庭に残るというケースが多いですが、父親が「主夫」になることも珍しくありません。特に母親の収入が父親の収入を上回る場合はなおのことです。

「男性だから」「女性だから」というくくりがゆるい習慣が幸いしています。なので、誰も主夫を見下すようなことはありません。

ニュージーランドでカップルが二人三脚で子育てができるのは、社会のあり方のおかげです。もちろん、産休をカップルで分け合えたりするなど、法律による助けもあります。しかし規則が決まっていないところで、「家庭最優先」という社会通念が大いに物をいいます。

家庭と家族は、カップルのどちらにもとっても同じだけ大切なものです。片方に任せればいいというものではありません。2人が共に慈しみ、手をかけ、守るものなのです。

ニュージーランドは多民族国家ですが、この認識は、性別は言うまでもなく、社会的地位や経済状態、宗教、習慣などを超えた国民の共通認識です。家庭を最優先に考える社会が、カップルの「二人三脚」を後押しします。

クローディアー 真理