2025年12月8日〜11日にかけて、UAE(アラブ首長国連邦)のドバイにて開催されるRMサザビーズのオークションに、1991年ブラジルGPを制した「マクラーレン MP4/6/1」が出品される予定です。
往年のF1ファンにとって忘れられないであろう、1991年のブラジルGP。F1史上最高のドライバーであるアイルトン・セナが母国初勝利を挙げた際に駆った、マクラーレン MP4/6はどのようなマシンなのでしょうか。
本記事では、マクラーレン MP4/6の歴史を語りつつ、驚愕の予想落札価格を紹介していきます。
1. 命懸けでアイルトン・セナが母国初勝利を成し遂げた伝説のマシン
「マクラーレン MP4/6」とアイルトン・セナによる伝説は、F1ファンにとって忘れられない記憶でしょう。
1991年ブラジルGP、F1史上最高のドライバーと呼ばれたセナは、マクラーレン MP4/6/1を駆って母国初勝利を挙げました。
これまでセナは、7回もブラジルGPに挑戦。7回のうち4回はポールポジションを獲得していながら、マシントラブルなどの不運によって優勝できていませんでした。1990年のレースでは、誰もが勝利を確信したなかで、周回遅れのマシンと接触して優勝を逃しています。
諦めずに挑戦を続けるセナですが、8回目となる母国ブラジルでのレースでもトラブルに見舞われます。予選でポールポジションを獲得したセナは、決勝でもレースをリード。ライバルのナイジェル・マンセル(ウィリアムズ・ルノー)が背後に迫るなか、必死に逃げます。
デッドヒートが繰り広げられていましたが、60周目にセナを追うマンセルのマシントラブルが発生。これで、セナの勝利は確実となりました。
しかし、一筋縄ではいきません。このとき、実はセナにもトラブルが発生していたのです。4速を失い、3速と5速にも問題が起きる。最後は6速のみで走行せざるを得ない状況になります。当然レースは難しい状況になり、20秒あった2番手との差は、最終ラップまでに4秒に縮まっていました。
「まただめか…セナは限界だ」と多くの人が思ったとき、ブラジルの空から雨が降り始めます。ウェットコンディションを得意とするセナにとって、これは幸運の雨となったかもしれません。次々とトラブルに見舞われながらも、セナは7万人の大観衆が見守るなか、自分が持つすべての力を振り絞り、マクラーレン MP4/6/1をゴールへと運びます。
トップチェッカーを受けた時、2番手との差は2.991秒。
もし、あと1周残っていたら、おそらくセナはまた負けていたかもしれません。それくらい、マシンとセナは限界を迎えていました。
テレビ中継で、フィニッシュ直後にコックピット内で泣き叫ぶセナの声が流れたのを覚えている方もいるでしょう。そして、セナは疲労と喜びが入り混じり、放心状態に。脚と首は痙攣し、1人ではマシンから降りられないほどでした。
表彰台では、トロフィーを持ち上げられないくらい疲労困憊でしたが、力を振り絞って高々と掲げ、最後はみずから頭にシャンパンを浴びて勝利を祝します。
こうして、マクラーレン MP4/6/1は、アイルトン・セナに母国初勝利をもたらした、F1史に残る存在となったのです。
マクラーレンは1991年、ドライバーズ選手権とコンストラクターズ選手権の両方で再び勝利を収めており、セナは3度目にして最後のドライバーズタイトルを獲得しました。役割を終えたシャシーMP4/6-1は、シーズン終了とともにレースから引退。マクラーレンの工場で約30年間、大切に保管されることになります。

