ふくらみ始めたお腹を抱えて、年度末の謝恩会の準備に追われていた2月、園側からある報告がありました。

それは、「少数の保護者に負担が集中する役員制度をいったん廃止して、来年度からは行事ごとに担当の保護者を募る“持ち回り制”にしようと思う」というものでした。

共働きの保護者が増えたことや、昔ながらのやり方が時代に合わなくなっていること、役員決めのときの重苦しい空気に教員から不満の声があがっていた……という理由でした。

その時、「これで、自分たちのような大変な思いをする人がいなくなる」と心底ほっとしたものです。

一緒に重役を務めていた役員や、仲の良いママ友たちは、労わりの言葉をかけてくれましたが、道やスーパーで偶然会った顔見知りの保護者からは、悪意はないものの、心ない言葉を投げかけられることもありました。

多かったのが、「(あなたが)役員制度をなくしたんだって?」という声。

他にも「役員がなくなって先生の雑用が増えて、保育の質が落ちないか心配」「役員会、なんだかんだで楽しかったのに、なくなって寂しい」「大変だったんだって? 詳しく聞かせてよ」と興味津々の目で聞かれることも。

中でも「昔の親は喜んで役員をやっていたのに、今の親は変わった」と言われたとき、笑って受け流した筆者の目は、おそらく全く笑っていなかったと思います。

誰かに変えて欲しい…それがたとえ「独裁者」でも

どんな組織においても、誰かが劇的な変化をもたらしてくれることを望みながら、いざその変化がやってくると、何かしらの文句が噴出します。

民間企業だけでなく、地域においても、「強いリーダー」のフォロワーになることを望んでいる人は多いように感じます。たびたび、PTAに生きがいを感じるほどのめりこんでしまう「独裁者」のような保護者が歓迎され、全く雑務が減らない……という悪循環も耳にはさみます。

さらに、「受け継がれた前例」をそのまま引き継ぐほうが必要なエネルギーは少なくて済みます。

こうして、PTAの合理化はその年の運任せで、よほど有能なリーダーが現れない限り、遅々として進みません。

後日談となりますが、2人の小学生と1人の乳児を育てる筆者は今年度、小学校のPTA役員決めにおいて、その学校では「1番ラク」と言われる月に1度の「校外補導」を選択。希望者が殺到したので、くじ引きで勝ち取りました。

「ラクにしましょう」という提案は一切せず、PTAの集まりではなるべく目立たないように黙っています。ママ友と集まれば、いかに自分の役割が面倒だったか、プレゼン合戦が繰り広げられるのにも関わらず、です。

誰かが声をあげないと変わらない。でも、できれば誰かにやってほしい。そんな他力本願な状態でいることに少なからず罪悪感を覚えながらも、子どもとの時間と、仕事を守るために声を上げられないでいます。

北川 和子