ついに横綱・稀勢の里が引退、在任わずか2年

大相撲初場所(1月場所)、初日から3連敗を喫した横綱・稀勢の里が引退することとなりました。稀勢の里が横綱に昇進したのは、今から約2年前の2017年1月場所後のこと。約19年ぶりとなる日本人横綱が誕生したということで、相撲界だけでなく日本全体が大きく盛り上がったのが昨日のことのようです。

しかし、ケガの後遺症で本来の相撲が取れず、あっという間に引退を余儀なくされたのは残念の一言に尽きます。

冷静に振り返れば、引退は時間の問題だった?

しかし、冷静に振り返ってみると、2年間も横綱の地位にいたこと自体が疑問だったと言えます。何しろ、横綱に昇進した2017年春場所(3月場所)以降の11場所(注:今回の1月場所を含まず)において、千秋楽まで皆勤したのがわずか2場所しかありませんでした。つまり、11場所のうち9場所も休場(全休4場所を含む)していたわけです。

確かに、貴乃花のように7場所連続の全休という“前例”があるとはいえ、昇進後の稀勢の里の状況ならば、横綱審議委員会(以下「横審」)から「引退勧告」が出ても不思議ではありませんでした。ところが、昨年末には引退勧告どころか、横審から満場一致で「激励」の決議を受けたのです。

新元号の下での日本人横綱の土俵入りは夢と消える

日本相撲協会と横審がここまで稀勢の里に肩入れした理由は、新元号の下で行われる夏場所(5月場所)において、日本人横綱の土俵入りを行うことだと推察されます。

ご存じの通り、今年5月1日の天皇譲位による新元号制定は、事実上初とも言える“慶事”としての行事です。今まで、少なくとも直近202年間は、新元号の制定は天皇崩御に伴う“弔事”でした。実際、昭和天皇の崩御直後に迎えた平成元年の初場所(1月場所)は、初日が1日延期になったばかりでなく、大入袋・懸賞金・優勝パレード・各部屋の千秋楽打ち上げ等が全て自粛される厳かな雰囲気でした。

しかし、今回は違います。その慶事としての新元号制定後に、初めて迎える大相撲場所(5月場所)は大いに華やかな雰囲気になることが予想されます。その華やかな大相撲場所で、日本人横綱の土俵入りを敢行したいという相撲協会や横審の願いは理解できます。ただ、その願いが叶うことは事実上、不可能になったと言えましょう。

既にピークを大きく過ぎている白鵬と鶴竜の2横綱