ADRの3手段、あっせん・調停・仲裁とは?

最近、耳にする機会の増えた、ADR(Alternative Dispute Resolution)。「裁判外紛争解決手続」の訳語からわかるとおり、裁判をせずにトラブルを解決する手段のことです。

ADRは、あっせん・調停・仲裁の3つに大別できます。第三者が本人双方から話を聞き、和解を勧めるのが「あっせん」で、解決策を提案するのが「調停」です。この2つは第三者の意見を拒否することができ、双方ともに受諾しなければ解決にはいたりません。

拒否することができないのは、「仲裁」です。3つのうちでは最も裁判に近い方法と言え、第三者の下した判断に従うことが強制されます。

日本ではまだまだなじみの薄い仲裁ですが、国をまたぐビジネスの世界では「裁判よりオーソドックス」という声もあるほど、浸透したトラブルの解決手段になっています。

仲裁のメリットは、言語や法律を越え、専門家の判断があること

仲裁が好まれる理由は、国ごとに法律や言語が異なること、その分野に詳しい裁判官が少ないことの2つをクリアできる点にあります。仲裁判断をする第三者、つまり裁判官の役割をする人を仲裁人と言いますが、誰を仲裁人にするかは本人同士で決めます。

したがって、どこかの国の法律に縛られることがなく、双方が理解しやすい言語で言い分を主張できるわけです。もちろん、その分野に詳しい人物を仲裁人に選ぶことも、双方が合意すれば可能になります。裁判官は法律には詳しくても、産業ごとの専門家ではないということへの不満を回避できるのです。

また世界を見渡せば、裁判制度が確立していない、賄賂を要求する裁判官もいるというウワサがあとをたたないなど、必ずしも裁判で正しい判断が下されるとは限らないという現状も仲裁が好まれる理由と言えます。

日本で仲裁が浸透しにくかった理由の一つに、「世界的な実態に比べると、日本の裁判制度は信頼度が高いから」と言う弁護士もいることからもうなずけるのではないでしょうか。

仲裁は、本人双方の仲裁契約がなければ行うことはできません。取引などの本契約書に条項を設けることが多いのですが、独立した契約でも可能です。

様々なメリットをもたらす仲裁地になるために必要なのは?

仲裁契約では、仲裁する場所も自由に選べます。トラブルとは全く関係のない国が選ばれることもよくあります。常設の仲裁センターで行う機関仲裁のほか、適宜設置されるアドホック仲裁もあります。

国際的なビジネストラブル解決のための信用できる機関があれば投資を呼び込みやすくなるので、金融など他のビジネスにも好影響が期待できます。そのため、自国を仲裁地にしようとする国はたくさんあります。

アジアではシンガポールや香港が人気の仲裁地になっています。日本にも仲裁地にしようとする動きはありますが、残念ながら充実した施設がないこともあり、選ばれることはまずないのが現状です。

ただ、人気の仲裁地になるには、施設が充実しているだけでは足りないようです。

「選ばれるのは、なぜか有名な観光地がある地が多い。『どうせ行くなら付加価値のある地がいい』という関係者の役得意識も微妙に影響しているのかもしれません」と苦笑する、仲裁に詳しい米国弁護士もいます。

仲裁のメリットは、ほかに非公開であること、控訴や上告に当たるシステムがなく一度の判断で決まることにもあります。企業イメージを損ねるリスクのある裁判とちがい、非公開で誰にも知られずに解決できるメリットは小さくないようです。

よほど有名になった仲裁でもないかぎり我々の耳目に触れることはないことが、日本では仲裁が今一つ浸透しない一因ともなっているのかもしれません。

仲裁判断は判決と同じような効果を持ち、双方と無関係な国で行っても、ニューヨーク条約加盟国であれば効力を持ちます。また、仲裁は、国家の経費で行う裁判と比べてコストが高くなるのが通例です。もっとも前述の米国弁護士によれば、「やり方次第では一概に裁判より高額とは言えない」そうです。

個人のトラブル解決にも、仲裁が利用されている

仲裁は、個人でもできます。日本では、スポーツ、不動産、知財、国民生活センターなどに仲裁のための機構が設けられているほか、各地の弁護士会でも行っています(参考:仲裁ADR統計年報2016年度版)。

費用は各自、申し立て時1万円、1回ごとに5000円。和解、あっせんから入り、まとまらない場合に仲裁手続きに入ることが多いようです。

年間1079件の申し立てがあり、うち契約関連389件、不法行為405件、家族トラブル85件、職場トラブル70件となっています(2009年、日弁連HPより)。

ほかにも各種のトラブルが申し立てられていて、扱えないトラブルはほぼないと考えていいでしょう。もちろん、非公開です。基本的には、納得できない判断が出ても甘受するしかないのも国際仲裁と同じです。ただ、裁判にする方法がまったく閉ざされているわけでもないようです。

間宮 書子