抱っこ紐着用の父子は気の毒!?

子どもを背中に背負い固定するための用具をおんぶ紐と言うように、前に抱いて固定する用具は抱っこ紐と呼ばれています。

時代とともに影をひそめていったおんぶ紐に代わり、現在街角では見かけるのはもっぱら抱っこ紐です。抱っこ紐は男女ともに愛用され、赤ちゃんを抱いて歩く男性もごく普通に見かけるようになりました。

この光景に対しては好意的な声が多いのですが、少数ながら違和感を発する声のあることもまた事実。そんな声の代表は、70代以降の男性です。

「気の毒で、見ていられない」

この世代は長い間、子育ては女性の役目という意識の中で生きています。その目で見ると、赤ちゃんを抱いた男性は「妻に逃げられた夫」か「嫁に頭の上がらない夫」と映り、わが身に置き代えてしのびない思いに駆られているようです。

ただし、この声はどこまでも街角だけのことです。家のなかでは、子あるいは孫に頬ずりをし、目じりを下げっぱなし。おんぶや抱っこ、お馬さんになって子や孫を背中に乗せて喜んでいるという話はよく耳にするところです。

子どもを愛おしいという気持ちに、男女の別はないということでしょう。

子ども連れの男性はステキだけど...

抱っこ紐はひとまず置き、子どもを連れた男性に対して、女性たちは好感情を持つことが多いようです。

女子大生が、若い男性に向けた感想です。

「小さな子どもの手を引いて歩いている男の人って、なんかステキだなと思ってしまう。やさしそうな表情をしているのよね」

ただし、抱っこ紐を着用した男性となると、話は別のようで、「う~~~ん、ちょっとねぇ」。どうやら複雑な思いがあるようです。

同じ女性でも、世代が異なると、視点も異なります。

日曜日の昼下がり、私鉄車内。

30歳前後のイケメン男性が抱っこ紐を着用し、座っていました。足元には、紙おむつなど赤ちゃん用品の入った大きめのバッグが置かれていました。

抱っこ紐の中では、男性によく似た1歳前後の男児、将来のイケメン君がニコニコと微笑んでいます。おそらく父子でしょう。

「あのお父さん、若いのに、えらいわね。私らのころには、父親が子どもを抱いて歩くなんて考えられなかったものね」

正面に座っていた50代女性が小声で、やはり50代の隣席女性に話しかけました。

隣席の女性もまた、小声で返事をしました。

「でもさ、やっぱり父親ね。お母さんだったら、あんな抱き方はしないはずだもの」

男児の笑顔が、困惑の表情に変わるとき

母親であれば、どんなに両手がふさがっていても、どちらかの手は子どもに添え、あやすようにしています。対して父親は、両手は他のことをしていて、抱いた子どもには添えられていないことも多いようです。

電車内の父親らしき男性も、左手は大きめのバッグを押さえ、右手はスマホを持っています。視線もスマホに集中です。

しばらくして父親らしき男性は、バッグからペットボトルを取り出し、飲み始めました。すると、男児の笑顔がひときわ輝きを増し、嬉しそうに父親の顔を見上げました。

まもなく男児の眉は八の字を描き、困惑した表情に変わりました。父親らしき男性がペットボトルの飲料水を飲み終え、男児の前を通り越して、再びバッグの中にしまい込んだときでした。

この様子を見ていた50代の女性2人は、下を向いたまま笑いをかみ殺すようにしています。

男性の子育ては発展途上?

男児の母親はおそらく、自分が何かを飲んだあとは男児にも飲ませているのだと思います。男児もいつしか、母親のあとは自分が飲めることを学習したのでしょう。父親がペットボトルを取り出し飲み始めたとき、次は自分も飲めるのだと思い、目を輝かせて嬉しそうに待っていたのだと思います。

困惑する子どもと、子どもの困惑に気づかない父親。熟練した子育て職人である50代女性から見ると、父親の無頓着ぶりにイライラし、災難に見舞われた男児に同情し、漫才のボケとツッコミのようなおかしさがこみ上げたのだと思います。

やがて男児は、鞄に入れたペットボトルのほうに小さな腕を伸ばしました。父親もようやく気づいたのか、ペットボトルを男児に渡しました。

ただし、フタは閉まったまま。男児はしきりにフタに手をあてていましたが、小さな力ではフタを開けることはできません。諦めて、ペットボトルの底に口を当て、舐め出しました。

父親は、相変わらずスマホに夢中です。男児が飲みたがっていることに気づく様子はありません。

父親の子育て参加は始まったばかり。見ていてハラハラしない子育てを修得するまでには、もう少し学習期間が必要なのかもしれません。

間宮 書子