NYダウが史上初の20,000ドル突破、上昇基調が続く

2017年1月25日(現地時間、以下同)、ニューヨーク証券取引所において、米国の代表的な株価指数であるダウ工業30種平均(以下、NYダウ)が史上初めて20,000ドルを付けました(終値は20,068ドル)。

この日は、トランプ政権への政策実行期待などから、寄り付きから高く始まった後に歴史的な大台突破となっています。未知の世界に突入した米国株式が、今後どのような推移となるのか一層の注目が集まるでしょう。

ところで、その1つ前の大台である10,000ドルを付けた当時はどうだったのでしょうか。当時、10,000ドルも同じように歴史的な大台でした。

NYダウ初の10,000ドル突破は今から18年前の3月16日

NYダウが史上初めて10,000ドルを突破したのは、今から約18年前の1999年3月16日です。ネットで検索すると、初の達成は3月29日というニュースが散見されますが、終値ベースで初めて10,000ドル突破となったのが3月29日です。

しかし、取引時間中に10,000ドルを付けたのは3月16日が最初です。金融市場の慣行で言えば、“初のNYダウ10,000ドル=3月16日”と見るべきでしょう。

1999年3月16日の日経平均株価は16,000円、為替は118円/ドル

さて、日本の1999年3月16日を振り返ってみましょう。

まず、金融市場の主要指標を見ると、日経平均株価は前日比+292円上昇して16,072円でした。景気回復期待を織り込む形で、日本株も上昇基調にあったようです。ただ、その18年後にNYダウが2倍になったことを考えると、現在の日本株の低調が見て取れます(現在は19,400円前後)。

一方、為替レートは1ドル=118円45銭でした。また、決済用仮想通貨として導入直後だったユーロは、1ユーロ=128円87銭となっています。

なお、金(ゴールド)の価格は、消費税抜きで1g=1,139円でした。現在は同4,452円ですから、約4倍に高騰していることになります。

不良債権処理に苦しむ大手銀行“15行”の経営健全化計画が発表

当時、金融経済の話題は大きく2つありました。1つは、金融再生委員会が16日に公表した大手銀行の「経営健全化計画」です。翌日(3月17日)の新聞紙上では、不良債権処理に苦しんだ大手銀行15行の経営健全化計画が検証されています。

ここでは“大手15行”という数字に時代の流れを感じます。記事の一覧表には、さくら、富士、東海、第一勧銀、あさひ、大和、三和、住友、興銀、東洋信託、中央三井信託など、今では(単独で)見ることのできない行名がずらりと並んでいます。当時、大手銀行が今のように集約されることを想像した人がどれだけいたのでしょうか。

経営危機に陥った日産がルノーの傘下入り、その後の復活へ

もう1つの話題は、経営危機に陥っていた日産自動車の再建問題であり、どの外国資本の傘下に入るかが注目されていました。実は、前日(3月15日)には、フランスのルノー社との資本提携に基本合意したことが明らかとなっており、株価も前日比+15%上昇して458円を付けています。

ただ、ルノー社との提携に対してはネガティブな見解も多く、16日の新聞でも懸念されていました。しかし、その後の復活劇はご承知の通りであり、現在の株価は1,140円前後で推移しています。なお、提携後の最高値は1,557円(2007年1月)です。

公示日が近づいていた東京都知事選にはあの人たちの名前が登場

一方、政治の話題は、3月25日に告示が迫っていた東京都知事選(投票日は4月11日)でした。任期満了で退任する青島幸男知事の後任を決める選挙ですが、既に何人かが立候補を表明していました。当時の世論調査では、第1位が石原慎太郎氏、第2位が舛添要一氏、第3位が鳩山邦夫氏だったようです。

この都知事選では石原慎太郎氏が勝つ訳ですが、その後に舛添氏も知事に就任しています。現在の都政の混乱を見ると、何となくやるせない思いがあります。

横綱“若貴”時代の終わりが近付きつつあった大相撲

スポーツの話題に目を向けましょう。3月16日は、大相撲春場所3日目でした。当時は、若乃花、貴乃花、曙の3横綱時代でしたが、この春場所は曙が全休、若乃花と貴乃花も途中休場になるなど、盛り上がりに欠けたようです。また、この頃から若乃花と貴乃花の兄弟横綱に確執が生まれ、その後に袂を分かつことになります。

ちなみに、この前年(1998年)に横綱に昇進した若乃花以降、日本人の横綱が誕生していませんでしたが、先日の初場所後、稀勢の里が19年ぶりの日本人横綱になりました。

前回は10,000ドル達成から約1年後、厳しい暴落が始まった

最後に、もう一度、金融市場に戻りましょう。当時、NYダウが10,000ドルを超えても過熱感を危惧する声は少なく、高揚感に浸っていたようです。実際、それから1年弱は上昇基調が続き、2000年1月には12,000ドルに迫りました。

しかし、その後はITバブル崩壊やNY同時テロ事件などにより、最高値から最大▲45%の暴落を経験しているのです。20,000ドルを超えた今、あの当時を振り返ってみるのも重要と言えるのではないでしょうか。

 

LIMO編集部