ロシア連邦は1991年、ソビエト社会主義共和国連邦(ソ連)の崩壊によって生まれた国です。現在の国旗の縦横比率は「2:3」ですが(別画像参照)、当初の国旗は記事トップの画像のように「1:2」でした。この比率は、旧ソ連の国旗の比率をそのまま引き継いでおり、ユーラシア大陸の北半分を占める広大な領土の東西南北の比率を表しているともいわれています。
国旗の色が似ているオランダがとんだ巻き添えに
ロシア連邦の現在の国旗は、その昔、皇帝が治めていたロシア帝国のころの国旗を復活させたものです。この国旗が生まれた約300年前のロシアまで歴史をさかのぼってみましょう。
ロシア帝国は1721年、ピョートル1世(1672~1725年)を初代皇帝として誕生しました。ピョートル1世は若いころ、1年間「お忍び」でヨーロッパを巡り、当時の先進国であるオランダ・イギリス・プロイセン(現在のドイツ)で西欧の技術や制度・文化を学び、後にそれをロシア帝国の近代化に取り入れました。
ロシア帝国の国旗の色である「白・青・赤」はロシアに昔から伝わる伝統色だったともいわれていますが、一説では、ピョートル1世が模範としたオランダの「赤・白・青」の横三色旗をお手本にしたものともいわれています。
オランダ国旗とロシア連邦の国旗は、色の並び順がちがうだけで非常によく似ています。実際、2015年のトルコで、ロシア総領事館に対して抗議に訪れたデモ隊の一部が、まちがえて隣のオランダ総領事館に卵を投げつけたこともありました。これは、とんだ巻き添えですね……。
ソ連の成立から崩壊まで
ロシア帝国は1917年、ロシア革命によって倒れ、1922年には世界初の社会主義国家・ソ連が生まれます。ソ連はロシア・ソビエト連邦社会主義共和国を中心に4つの共和国が集まった連邦国として始まり、その後、周辺の国々も加わって、最終的には15の共和国による巨大な国をつくり上げました。
ソ連の国旗は何度か変更されていますが、よく知られているのは、赤旗の左肩に黄色の鎌とハンマー、五角星が配された国旗です(別画像参照)。鎌は「農民」、ハンマーは「工場労働者」、そして五角星は「五大陸での共産主義の勝利」を表しています。
当時の社会主義の国々は、ソ連国旗のデザインをこぞって自国の国旗に取り入れました。現在でも、赤旗と黄色い五角星を組み合わせた中国やベトナムの国旗に、そのなごりを見ることができます。
ソ連からロシア連邦へ
「平等な社会の実現」という高い理想を実現すべく建国されたソ連ですが、次第に経済の行きづまりや権力の集中といった矛盾があらわになってきます。
東ヨーロッパの社会主義政権が次々に倒れる中、建国から70年を迎えようとする1991年、ついにソ連は崩壊し、15の共和国はバラバラになりました。そして翌年にはロシア連邦が成立し、ソ連の跡を継ぐ国として新しい一歩を踏み出したのです。
現在、ロシアで長期にわたって政権を握るウラジーミル・プーチン大統領は「強いロシア」の復活を掲げ、ピョートル1世を尊敬していることでも知られます。しかし、独裁的ともいえる政治のやり方には、国内外からの強い批判もあります。
■[監修者]苅安 望(かりやす・のぞみ)
日本旗章学協会会長。1949年、千葉県生まれ。早稲田大学政治経済学部政治学科卒業。総合商社に入社し東京本店、ニューヨーク支店、メルボルン支店食品部門勤務を経て、食品会社の取締役国際部長、顧問を歴任し2015年退職。2000年より旗章学協会国際連盟(FIAV)の公認団体である日本旗章学協会会長。北米旗章学協会、英国旗章学協会、オーストラリア旗章学協会、各会員。旗章学協会国際連盟にも投稿論文多数。著書は『世界の国旗と国章大図鑑 五訂版』『こども世界国旗図鑑』(平凡社)、『世界の国旗・国章歴史大図鑑』(山川出版社)など多数。
この記事の出典:
苅安望[監修]『国旗のまちがいさがし』
クロスメディア・パブリッシング